はじめに
中学校第一学年理科の単元「光と音」で凸レンズの働きについて学習します。この学習の中で「物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたとき、実像と虚像はできるか」という問題が取り扱われます。この解答は次のような図を使って「物体を凸レンズの前側焦点に置くと、物体の1点から出た光が凸レンズから出た後に平行光となるため像はできない」と説明されます。教科書や参考書によっては「実像も虚像もできない」と解説されています。
物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたとき実像と虚像はできるか
実際の学習において「凸レンズの前側焦点に物体を置いたとき、実像も虚像もできない」と教わっている中学生が多いようです。
何が問題点なのか
結論から述べると「物体を凸レンズの焦点(前側)に置くと実像はできないが、凸レンズを覗くと虚像は見える」が正解です。「虚像はできない」「虚像は見えない」という説明は間違っています。
「物体を凸レンズの焦点(前側)に置くと、物体の1点から出た光が凸レンズから出た後に平行光となる」は現象の理論的な説明ですから問題はありません。しかし、その後の「像はできない」の部分は実像なのか虚像なのか明記されておらず曖昧です。
凸レンズを出た平行光は交わらないのでスクリーンに実像はできませんし、凸レンズを覗いても倒立した実像は見えません。ですから、実像を学習する節で「像はできない」と書いてあるだけなら、像は実像のことであることが明白ですので問題にはなりません。
しかし、「像はできない」という意味に虚像を含めたり、明示的に「虚像はできない」「虚像は見えない」という説明は事実に反します。よく段階的な学習への教育的な配慮から難しい点はあえて省略して簡素化して説明することはありますが、さすがに事実に反することを教えるのは問題ではないかと考えます。
学習指導要領を見てみると
平成29年告示の学習指導要領には凸レンズの働きの学習について下記の通り記載されています。
中学校学習指導要領(平成29年告示) 2 内 容
(79ページ)
㋑ 凸レンズの働き
凸レンズの働きについての実験を行い,物体の位置と像のでき方と
の関係を見いだして理解すること。
3 内容の取扱い
(85ページ) イ アのアの㋑については,物体の位置に対する像の位置や像の大きさの定性的な関係を調べること。その際,実像と虚像を扱うこと。 |
この内容について解説編で次のように補足説明されています。
【理科編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 (31ページ)注はブログ筆者が追加 ㋑ 凸レンズの働きについて ここでは,物体と凸レンズの距離を変え,実像や虚像ができる条件を調べさせ,像の位置や大きさ,像の向きについての規則性を定性的に見いだして理解させることがねらいである。
はじめに,凸レンズに平行光線を当て,光が集まる点が焦点であることを理解させる。次に,物体,凸レンズ,スクリーンの位置を変えながらいろいろ調節して,スクリーンに実像を結ばせ,凸レンズと物体の距離,凸レンズとスクリーンの距離,像の大きさ,像の向きの関係を見いだして理解させる。(注1) また,物体を凸レンズと焦点の間に置き,凸レンズを通して物体を見ると拡大した虚像が見えることを理解させる。(注2)その際,例えば,眼鏡やカメラなど光の性質やレンズの働きを応用した身の回りの道具や機器などを取り上げ,日常生活や社会と関連付けて理解させるようにする。 凸レンズを用いてできる像を観察して,その結果を考察させる際,作図を用いることも考えられるが,定性的な関係を見いだすための補助的な手段として用いるようにする。(注3 )なお,光源と凸レンズを用いて実像を観察する実験では,目を保護するために,スクリーン等に像を映して観察するなどの工夫をし,凸レンズを通して光源を直接目で見ることのないよう配慮する必要がある。 |
学習指導要領には特段の問題は見当たりません。この内容に沿って学習すれば凸レンズの働き、実像や虚像について適切に学習できると考えます。
実像の学習内容(注1)については、「スクリーンに実像を結ばせ」とありますが、物体を凸レンズの焦点(前側)や焦点(前側)の内側に置くと実像ができないことは、「物体、凸レンズ、スクリーンの位置を変えながらいろいろ調節してスクリーンに実像を結ばせる」という実験をやってみればおのずと出てくる観察結果でしょうから学習の範囲と考えても良いでしょう。「スクリーンに実像を結ばせ」が前提条件であれば発展的な学習と捉えても良いでしょう。
一方、虚像の学習内容(注2)については「物体を凸レンズと焦点の間に置き、凸レンズを通して物体を見ると拡大した虚像が見えることを理解させる」とあり、物体を凸レンズの焦点(前側)に置くことを想定していません。「虚像が見える」という言葉遣いも適切です。ですから、物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたときに虚像がどうなるかは発展的な学習になるでしょう。
凸レンズの学習方法(注3)については「凸レンズを用いてできる像を観察して,その結果を考察させる際,作図を用いることも考えられるが,定性的な関係を見いだすための補助的な手段として用いるようにする」とあります。作図は補助的な手段と書いてあるのは、作図だけで説明してはいけないということまで配慮していると想像できます。
作図による実像と虚像の説明の妥当性
冒頭に示したような図を使って実像ができないことを説明することは、図が学習指導要領にある「定性的な関係を見いだすための補助的な手段」になっていると言えます。物体の1点から出た光は凸レンズを出た後に平行光となり、その後は交わることがないため、どこにスクリーンを置いても実像は結ばないと説明することができます。
一方、虚像については、この図だけでは説明できないのは明白です。作図はあくまで補助的なものであり、主要な説明が抜け落ちています。虚像の観察は学習指導要領にある通り「凸レンズを通して物体を見る」です。この操作なしに冒頭のような図を示して平行光の説明で「虚像はできない」「虚像は見えない」と結論づけることは学習指導要領の主旨に反しているように考えられますし、何よりも現物を使った実験観察の結果に反します。
次の図は物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたときに見える虚像を図示したものです。凸レンズから出てくる平行光は目の角膜と水晶体で屈折し、網膜に虚像の実像を結びます。難しい説明を抜きにしても、観察結果からわかることです。
物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたときに見える虚像
本件について関係組織に改善提案をされ、本記事にコメントを頂きているTomtomさんに、物体を凸レンズの前側焦点に置いたときに見える虚像の写真をご提供いただきました。
実験装置
- ナリカ社製の光学台
- 焦点距離10 ㎝の凸レンズ
- 物体「と」と書いた紙と留め具
実験装置
物体とレンズの配置
- 物体を凸レンズの手前10 cm、前側焦点の位置に配置。
物体とレンズの配置
凸レンズをのぞいて虚像を観察
次の写真は凸レンズの後方35 cmの位置からのぞいたときの様子です。「と」の虚像が見えます。これが無限遠にできた虚像です。
無限遠の1点からやってくる光は平行光として届く。これを見落としたために凸レンズの前側焦点に物体を置いたときに虚像はできないと結論づけられてしまったのでしょう。平行光の起源を考えなければなりません。太陽や月を見ているのと同じ仕組みになっているのです。
そもそも多くの市販のルーペの倍率は物体を前側焦点の位置に置いた条件で定義されているのです。
また凸レンズ2枚からなるケプラー式望遠鏡は対物レンズの後側焦点と接眼レンズの前側焦点が一致するようにレンズを配置しています。無限遠の物体の実像が対物レンズの後側焦点にできます。この実像は接眼レンズの物体となりますが、この物体は接眼レンズの前側焦点の上にあります。望遠鏡をのぞくと拡大された無限遠の虚像が見えます。このような光学系をアフォーカル光学系といいます。
凸レンズの前側焦点に物体を置いたときに虚像はできないと結論づけるとその後の学習に悪影響を与えるのは明白ですし、中学校の学習でも実験事実と食い違うことになってしまいます。
改善の提案
案1)実像だけの説明にとどめる
冒頭と同様な図を示して、凸レンズの焦点(前側)に置いた物体の1点から出た光は凸レンズを出た後に平行光となり、その後は交わることがないため、どこにスクリーンを置いても実像は結ばないと記述する。虚像についてはこの条件での問題は取り扱わない。
案2)実像はできないが、虚像は見えると説明する
冒頭と同様な図を示して、凸レンズの焦点(前側)に置いた物体の1点から出た光は凸レンズを出た後に平行光となり、その後は交わることがないため、どこにスクリーンを置いても実像は結ばないと記述し、このとき凸レンズの後方から覗くと拡大された虚像が見えると説明する。
実験で観察するときの注意事項
物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたときの実像や虚像を観察するときに注意しなければならないことがあります。それはレンズの収差です。
凸レンズに入る平行光は理論的には凸レンズの焦点(後側)に集まりますが、たとえば普通の球面レンズの場合、次の図のようにレンズの周辺部から出てくる光は焦点に集まらずわずかにずれてしまいます。これは直径の大きな凸レンズで顕著に起こります。
凸レンズの収差
物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたときに、物体の1点から出た光はレンズを出た後に平行光になります。凸レンズの収差によって、凸レンズの周辺分から出てくる平行光が乱れると実像や虚像の観察がうまくできなくなる場合があります。この場合はドーナツ型の枠を使って、凸レンズの周辺部を隠します。中心付近から出てくる光を使うと、実像や虚像をうまく観察することができるようになります。また、凸レンズで虚像を観察するとき、特段の制限がなければ視界を広く確保するためにも凸レンズと眼をなるべく近づけて観察すると良いでしょう。この場合は周辺分の光が眼に入らなくなります。
この収差の影響による虚像の見え方が、虚像の観察を行わずに「虚像はできない」「虚像は見えない」と結論づけている一因にもなっている可能性はあります。
実際、凸レンズから出てくる平行光に乱れがなければ、光軸上に眼を置いている限りは、凸レンズと眼の距離を変えても、視界の広さは変わるだけで常に同じ大きさの虚像が見えます。
このことから市販のルーペの倍率は物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたときに見える虚像の大きさから定義されています。
まとめ
物体を凸レンズの焦点(前側)に置いたとき実像と虚像はできるかの問いに対して、「実像はできない」は問題ありません。また実像の節で「像はできない」という記述において、像が実像であることが明確である場合、「実像はできない」という記述の方がより適切ですが問題があるとは言えません。
虚像については「虚像はできない」「虚像は見えない」という記述は明らかな間違いです。段階的な学習への教育的な配慮からも逸脱していると考えます。
実態的に「実像も虚像もできない」と学習しているとするならば、「実像はできない」「虚像は見える」という説明に訂正されることを願ってやみみません。
【参考記事】
人気ブログランキングへ