白と黒のはざまに
西の空に太陽が傾くと、空が真っ赤な色に染まります。やがて、太陽が地平線に沈むと、空の色が失われ、光に満ちあふれていた世界が、漆黒の闇の世界となります。
そして、朝日が昇り、夜が開けると、世界は光を取り戻し、さまざまな色で満ちあふれます。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは色は光と闇のはざま、つまり白と黒の間に生じると考えました。アリストテレスは白色光が媒質を通ることによって暗くなり、その過程で、白と黒の間に、黄、赤、紫、緑、青が生じると考えました。これをアリストテレスの変改説または変容説、変化説といいます。
このアリストテレスの色彩論は、今でこそ誤りであることは明白ですが、ニュートンが白色光をプリズムでさまざまな色の光に分解することができ、さらに分解した光を集めると元の白色光に戻ることを証明する実験を行うまで支持されていました。
ニュートンは1704年に著した【Opticks 和名:光学』のPART II. PROP. I. Theor. I. において次のように述べ、アリストテレスの変改説を否定しています。
Opticks by Isaac Newton (pg 113) http://www.gutenberg.org/files/33504/33504-h/33504-h.htm The Phænomena of Colours in refracted or reflected Light are not caused by new Modifications of the Light variously impress'd, according to the various Terminations of the Light and Shadow. 屈折もしくは反射する光における色の現象は、光と影の様々な終端に応じて、様々に特徴づけれる光の新たな改変によって引き起こされるものではない。 |
アリストテレスの変改説(変容説、変化説)と色彩論
アリストテレスはどのような考えのもと変改説(変化説)に至ったのでしょうか。アリストテレスは著作『Περὶ Ψυχῆς(ラテン語:デ・アニマ、和名:霊魂論/魂について/心とは何か)英語名:On the soul』の第二巻において感覚を取りあげ、第7章で視覚と色について言及しています。
アリストテレスは視覚と色を論じるにあたり、まず視覚の対象は物体の色の表面にある色であると定義し、どのように色が生じるのかについて考察しています。そして、この考察の中で、アリストテレスが議論の中心として取りあげているのが透明なものです。なぜ視覚と色の説明に透明なものを取りあげたのでしょうか。
私たちが物体を見るとき、眼と物体の間には必ず透明なものがあります。アリストテレスの言う透明のものとは空気や水などのことですから、これは私たちの日常体験からも理解できるでしょう。そして、当時の四元素説において、空気と水は、火や土と並んで万物を構成する元素ですから、特別な働きがあると考えられていました。
アリストテレスは、色は物体の表面に存在し、その色が透明なものに作用すると説明しています。そして、透明なものは眼と物体の間に絶え間なく存在しているので、色が透明なものに与えた作用は視覚器官に作用すると説明しています。アリストテレスは、透明なものは、色を伝える媒質であると考えたのです。さらに、透明なものは見ることができるが、それ自体が見えるわけではなく、その先にある色によって見えると説明しています。そして、この透明なものの状態から光について言及しています。
アリストテレスは、透明なものが明るい状態にあるとき、それが光であると述べています。また、透明なものは潜在的に明るい状態になる能力をもち、光でない状態のときには、あたりは闇であると述べています。そして、透明なものが明るい状態のときには、火などの光源が存在すると述べています。また、透明なものが明るい状態というのは、透明なものの色のようなものであるが、光そのものは、火でもなく、物体でもなく、物体から出てくるものではない、光そのものが見えているのではなく、見えているのはあくまでも物体の表面の色であると述べています。
アリストテレスの視覚と色の理論における光とは、色を発現させるものと考えることができるでしょう。光そのものは眼に見えませんが、透明なものに明るさをもたらすことによって、色が見えるようになり、そして光の存在を感知することができます。
これは、私たちの日常の体験からそうかけ離れた説明ではありません。光が存在していなけれは色は見ることができませんし、光がまったくなくなれば漆黒の暗闇になります。
アリストテレスは光と闇を対局的な存在と考え、透明なものの状態によって、色が生じると考え、明るい白から暗闇の黒へ、白、黄、赤、紫、緑、青、黒の順に色が変化すると結論づけたのです。
色は作れるのか
アリストテレスの師であるプラトンは色と色を混ぜ合わせて新しい色を作り出す行為は神に対する冒涜であると考えました。プラトンの哲学は、イデア論という思想が背景にあり、事象に対して精神的、観念的に本質的なものを追求するものでした。我々が体験している事象や世界はあくまでイデアの似像にすぎないと考えたのです。弟子のアリストテレスは自然哲学を重視していたので、観察をしっかりと行い、事象の仕組みを科学的に追求していきました。 アリストテレスの色彩論では、光の色と物体の色の区別は明確ではありませんが、白と黒を混合する割合を変えることで、様々な色を作ることができることになります。しかし、実際に白い絵の具と黒い絵の具を任意の割合で混ぜても、様々な明るさの灰色ができるだけで、赤や青などの色を作ることはできません。また、部屋の中で電灯を暗くしていくと、あたりが次第に暗くなるにつれて、物体の色の明るさも暗くなっていきますが、そこに新たな色が生じることはありません。
アリストテレスは光と色との間に関係があることは示すことができましたが、色の本質については明らかにすることはできなかったのです。
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