アントニ・ファン・レーウェンフック
ロバート・フックの功績によって複式顕微鏡は理化学機器として発展していくことになりますが、拡大率の高い顕微鏡は像に色がついて見えたり、解像度が追い付かずぼやけて見えたりするなどの問題がありました。
フックが複式顕微鏡を使って観察をしていた頃、オランダのアントニ・ファン・レーウェンフックはレーウェンフックは若い頃から従事していた織物商の仕事でルーペを使って生地を観察し品質を確認していました。そして普通の拡大鏡では見ることができない糸の品質を確認するため倍率の高い拡大鏡の自作に取り掛かりました。
レーウェンフックの顕微鏡
レーウェンフックは直径1ミリメートル程度のガラス玉1個をレンズとして使った次の図のような単式顕微鏡を自作しました。レーウェンフックの顕微鏡は大きいものでも約5センチメートルでした。観察する試料をサンプルフォルダーの針の上に乗せて、2つのネジでレンズに対する位置とピントを合わせることができました。観察は太陽の方を向いてサンプルフォルダーの反対側からガラス玉を覗いて行います。
レーウェンフックの顕微鏡の構造は簡単でしたが、高性能な顕微鏡を作るためにはいかにガラス玉レンズを上手に作るかが重要でした。レーウェンフックはレンズの製法を秘密にしていましたが、高品質で微小なガラス玉は溶融したガラス棒を引っ張ってできる細いガラス糸の端を溶融することによって作ることができます。
レーウェンフックはミクロの世界を探求するため顕微鏡の改良を重ね生涯で実に500もの顕微鏡を自作しました。倍率の高いものとしては約270倍の顕微鏡が現存していますが、観察記録から考慮すると500倍の顕微鏡の製作に成功していたと考えられます。
オランダの解剖学者ライネル・デ・グラーフはレーウェンフックの観察記録に注目し、1673年にロンドンの王位協会にレーウェンフックの顕微鏡と観察記録を紹介しました。同年、オランダのクリスティアーン・ホイヘンスの父がロバート・フックにレーウェンフックを紹介しています。以降、レーウェンフックは王位協会に観察記録を送りました。レーウェンフックは1674年に赤血球、1676年に微生物を発見したことを報告しています。
レーウェンフックは学術の専門的な教育を受けていなかったため、正式な論文を書くことはできませんでした。口語的なオランダ語で書かれてた報告書を王位協会がラテン語に翻訳して発表しました。1680年、レーウェンフックは功績が認められ王立協会の会員として迎えられました。
アントニ・ファン・レーウェンフックの単式顕微鏡|顕微鏡の歴史③
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