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2020年6月24日水曜日

虹の神話ー虹ができる仕組み①

古代の人々にとっての虹

 雨上がりの空にかかる虹はとても綺麗です。虹は自然が作り出す大空のキャンパスに描かれた光と色の芸術と言えるでしょう。古代の人々はあの美しい虹を見て、どのように捉えていたのでしょうか。

 この地球に現在の人類の祖先が登場したのは今から20万年以上も前のことです。もちろん、そのはるか昔から、様々な自然現象は発生していました。

 原始の人々は本能的に五感を駆使し、身を持って自然を感じていたでしょう。彼らが感じることができた自然のさまざまな変化は、彼らの生活に潤いを与えたり、大きなダメージを与えたり、時としてその命すら奪うこともあったでしょう。

 原始の人々にとって、自然は畏れ多いものであり、その存在や変化は神の恵み・神の怒り・神聖なもの・邪悪なものとして捉えてたに違いありません。それから長い歳月を経て、世界各地でいろいろな文明が発祥しますが、原始の人々の思いは継承されていくのです。

 古代の人々にとって、この世界がどのように生まれ、身の回りのものが何からできているのかという疑問に対する答えは、神々の存在だったに違いありません。そして、非日常的な自然現象は、神々がもたすものと捉えていたに違いありません。

 雨上がりに大空にかかる虹はどの地域の人々にとっても象徴的な自然現象だったに違いありません。

古代中国における虹 

 古代中国では、虹は龍に変化する大蛇が天と地を結ぶときに現れると考えられていました。虹という漢字は「蛇」を意味する虫の偏(へん)に、「貫く」「天と地を結ぶ」を意味する工の旁(つくり)からなります。

 虹は、明るく見える主虹と、やや暗く見える副虹ができますが、主虹を「虹」、副虹を「霓」または「蜺」とし、合わせて「虹霓(こうげい)」または「虹蜺(こうげい)」と呼びました。


主虹(下側)と副虹(上側)

 そして、虹霓の「虹」は雄の龍で、「霓」「蜺」は雌の龍と考え、虹は雄雌一対の龍が現れたものと考えられていたようです。

 古代中国では、一般に虹は戦乱や災害などが起きる前兆など不吉のなものと捉えられていました。一方で、龍は吉兆の象徴であることから、虹も良いことが起きる前兆と捉えられる場合もありました。

古代ギリシア神話における虹

 古代ギリシア神話にイーリス(Ἶρις、英語ではアイリス)という虹の女神がいます。ギリシア語の「Ἶρις」は虹を意味します。

 イーリスは天地を瞬く間に結ぶ虹であり、遠くの場所に一瞬で移動することができました。そのため、ギリシア神話の最高位の女神ヘーラーの腹心として伝令の使いの役割を担っていました。


アントニオ・パロミノ『空気の寓意:ヘーラーとイーリス』(1700年)

 また、ギリシア神話の最高位の全知全能の神であるゼウスは、神々同士に争いが生じたときなどに、イーリスを冥界に遣わし、誓約の証として神々を支配することができるステュクスの水を汲みにいかせました。神々はステュクスの水を飲んで誓言しますが、誓言を守らなければ1年間仮死状態に陥り、その後9年間はオリュンポスから追放されてしまいます。罪が許させるまで10年を要したそうです。

古代日本における虹

 古代日本では、日本神話の国生みに虹がでてきます。天地開闢(てんちかいびゃく)すると、高天原(たかまがはら)に5柱の別天津神(ことあまつかみ)、12柱の神世七代(かみのよななよ)の神々が現れ、最後にイザナギとイザナミが生まれました。

 神々が高天原から下界を見下ろすと、できたばかりの下界は混沌と漂っていました。別天津神はイザナギとイザナミに天沼矛(あめのぬぼこ)を与え、下界を秩序あるものとし、国造りをするように命じました。イザナギとイザナミは、高天原から地上へとつながる天浮橋(あまのうきはし)の上に立って、天沼矛で下界をかきまぜました。このとき、天沼矛から滴り落ちたものが積もり積もって、淤能碁呂島(おのごろじま)となりました。この淤能碁呂島を足掛かりに、イザナギとイザナミは国生みと進めていきました。


小林永濯『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』
二神が天沼矛で地上の渾沌を掻き回して大八島(日本の島々)を生み出そうとしている。

 さて、この話の中に出てくる高天原から地上へとつながる天浮橋が虹であったという説があります。古事記などには天浮橋が虹の橋であるという言及はありませんが、古代の人々にとって天と地をつなぐ橋と言えば虹のことであり、日本以外の神話にも虹の橋がよく出てきていることなどが、この説を肯定する理由となっているようです。もちろん、天浮橋は虹ではないという説もあります。

 また、7世紀の後半から8世紀後半にかけて編纂された「万葉集」に虹について読んだ和歌が一首あります。

 第十四巻三四一四
【原文】伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢乎佐祢弖婆
【訓読】伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の現はろまでもさ寝をさ寝てば
【かな】いかほろの やさかのゐでに たつのじの あらはろまでも さねをさねてば
【詠人】不明

 この和歌は「伊香保の八尺の土手の上に高々と立つ美しい虹のように、私たちも人目をおそれず共寝することができたらどんなにいいことでしょうか」という意味で、許されない恋をしている女性が男性に対する愛を虹にたとえたものだそうです。

創世記における虹

 聖書の創世記9章のノアの方舟の話の中に虹が出てきます。ノアの大洪水の後、神は再びこの地に大洪水を起こして地を滅ぼすようなことはしないという契約の印として、虹を雲の中に立てたとあります。
  
神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。あなたがたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。 人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに。 あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、地の上にふえよ」

 神はノアおよび共にいる子らに言われた
「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。 またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」

さらに神は言われた
「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に虹を置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。 わたしが雲を地の上に起すとき、虹は雲の中に現れる。こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。虹が雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」

そして神はノアに言われた
「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。

 創世記では、虹は人類をはじめとする生物の発展をもたらした神との契約の印であり、神聖なものと考えられています。 


ドメニコ・モレッリ『方舟を出た後のノアによる感謝の祈り』
1910年までに描かれた作品。主虹と副虹が正しく描かれている

 虹は英語ではRainbowですが、これはRain(雨)とbow(弓)が組み合わさった複合語です。確かに虹は弓の形をしています。バラモン教やヒンドゥー教の神で雷神のインドラが雷の矢を放つのに使った弓が虹とされ、サンスクリット語では、虹のことを「インドラの弓(indradhanus)」といいます。また、虹を橋や道として捉える文化も多く、北欧では日本神話の天浮橋と同様に、虹は天上の神の世界に通じる橋と考えられていました。

 このように虹は様々なものに捉えられていましたが、古代の人々にとっては神々がもたらしたものであり、吉であれ、凶であれ、畏れ多いものだったに違いありません。

 虹の現象について神話的を排除し、科学的に真理を追求するようになったのは、紀元前6世紀以降の古代ギリシアの自然哲学者が現れてからです。

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