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2020年6月29日月曜日

虹の色はどこから?ー虹ができる仕組み②

虹の探究のはじまり

 雨上がりの空になぜ虹がかかるのか。古代より多くの学者たちが、その解明に取り組みました。

 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、著作「気象論」において、虹は大気中に浮遊した水滴が鏡のように光を反射するため生じると説明しています。そして、色は光と闇の間に生じ、白と黒の混合によって様々な色を作ることができると考えたようです。アリストテレスの説明は誤っていますが、虹が出来る仕組みについて神学的、宗教的な捉え方を排除し、探究を行いました。

 虹について世界で初めて科学的な手法で探究を行ったのはフランスの物理学者ルネ・デカルトです。デカルトは1637年に発表した「方法序説」において、虹は光が雨上がりの空に浮遊する水滴で屈折・反射することで生じると記しています。

【方法序説】
デカルトが1637年に発表した方法序説の正式名称は「 理性を正しく導き、科学の真理を探究するための方法の談話(方法序説)。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学。(Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences. Plus la Dioptrique, les Météores et la Géométrie, qui sont des essais de cette méthode.)」です。デカルトは500ページ以上の著作を発表していますが、現在は最初の78ページまでの序文を方法序説と呼んでいます。光の屈折や虹の仕組については「屈折光学」「気象学」に記載されています。有名なデカルトの虹の絵はp251に掲載されています。
フランス国立図書館所蔵の当時の方法序説全文
Descartes, René (1637). Discours de la méthode pour bien conduire sa raison et chercher la vérité dans les sciences, plus la dioptrique, les météores et la géométrie


デカルトの虹の絵(方法序説・気象学)

 デカルトは水滴中の光の道筋を理論的に計算し、虹が見える角度を正確に求めました。そして、水を満たしたガラスびんに光を通して、光の道筋を調べて検証しています。しかし、虹の色が生じる理由を正しく説明するまでには至りませんでした。

虹の色はどうして生じるのか

 古代ギリシャの時代から、光は透過する物質によって性質が変化し、様々な色を呈するというアリストテレスの光の変改説が信じられていました。17世紀ぐらいまでは、多くの学者は、プリズムで光の色の帯が生じたり、空に虹ができたりする仕組みは光の変改説で説明できると考えていました。

 1666年、イギリスの物理学者アイザック・ニュートンは、無色の太陽光をプリズムに通すと、赤から紫まで連続的に変化する光の色の帯が現れる現象を観察する実験を行い、光の色の帯のことをスペクトルと名づけました。この現象を光の分散といいます。前述の通り、この現象そのものは当時既に知られており、ニュートンによって新たに発見されたものではありませんが、ニュートンは色がどうして生じるのかについて研究を進めました。

 そして、ニュートンは、一連の実験で、プリズムで作ったスペクトルをレンズともう1つのプリズムで集めると、太陽光と同じ無色の光にもどることや、光の色の帯から任意の2色の光を取りだして混合すると、別の色が現れることを発見しました。


1704年頃のニュートン(左上) Opticks(左下) ニュートンのプリズム実験(右)

 ニュートンは1704年に著した『Opticks 和名:光学』のPART II. PROP. I. Theor. I. においてアリストテレスの変改説を否定しています。ニュートンは、太陽光は様々な色の光が混合したものであることを緻密な実験で確かめ、虹の色は太陽光に由来することを突き止めたのです。

虹の色はどこから?ー虹ができる仕組み②

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2020年6月27日土曜日

実像と虚像の違い-実像と虚像の例から考える

実像と虚像の違いと見分け方

実像と虚像の基本的な説明については、このブログの光学用語の解説をご覧ください。この用語解説を読むと、実像と虚像の基本的な違いを理解することができると思います。
実像-光学用語 虚像-光学用語
本記事は上記の2つの記事を読んでからご覧になられることをおすすめします。

 レンズや鏡でできる実像と虚像の違いや見分け方がわからないという質問が時々あります。

 実像と虚像の違いを言葉で説明すると、実像は「像が見えている位置に光が集まって実際にできている像」であり、虚像は「像が見えている位置に光が集まっておらず、実際に像はできていないものの、あたかもその位置にあるように見える像」です。

 おそらく実像の方は理解しやすいと思いますが、ややこしいのは虚像の方でしょう。まず虚像が見える理由を考えてみましょう。

 虚像が見えるのは、私たちが体験的に光が直進するという知識を持っていて、光がやってくる方向にその光のもとがあると認識してしまうからです。つまり、物体から出た光の進路が途中で変わっていても、そのことに気がつくことができず、光がやってくる方向の延長線上に物体があるかのように見えてしまうのです。その見えてしまうものを虚像と呼んでいます。

 例えば、大きな鏡があることに気がつかずに部屋が広く見えたという経験はないでしょうか。鏡の存在に気がついて、部屋の広さを見誤っていことに気がつくでしょう。また、浅く見えていた川底に、足を踏み入れてみたら思ったよりも深かったという体験談があります。これも川底の虚像を見て、川の深さを見誤ってしまったからです。


永遠に続く鏡の中の世界(左)と川底に足を踏み入れる(右)

 自分が見ている像が、実像なのか、虚像なのかを正しく理解するためには、その像がどのようにして見えているのか、そのプロセスを知る必要があります。

実像と虚像の例ー身近な例をあげる問題

 「実像と虚像の身近な例をあげてみましょう」という問題がよくあります。この問いに解答するには、映写機でスクリーンに投影している映像、平面鏡の中に映る自分の像など、実際の像の例を挙げて、それが光が集まってできている実像なのか、あたかも存在するかのように見える虚像なのかを考えることが重要です。

 また、レンズや凹面鏡の作図の学習から、正立像だから虚像、倒立像だから実像と一義的に結び付けて覚えるのは誤りです。「映画の映像は倒立像ではないのに、どうして実像なの?」などのような混乱が生じます。

 次は実像でしょうか、虚像でしょうか?

  1. 映画でスクリーンに投影されている映像
  2. 平面鏡に映る自分の姿
  3. ルーペーで拡大した物体の正立像
  4. ピンホールカメラでスクリーンに投影した風景
  5. スプーンの内側に映る倒立した自分の顔
  6. ルーペーを覗いた時に見える物体の倒立像
  7. 太陽光を平面鏡で反射し、壁に映した明るい部分
  8. カーブミラーに映る自動車
  9. 風呂の水の中の自分の手
  10. マジックスコープで見える立体像

次の映像はマジックスコープで見える立体像です。マジックスコープは凹面鏡を重ね合わせたようなものです。底に物体を置くと凹面鏡の反射光が上部の開口部に集まるようにできています。これは光が集まってできた像ですから実像です。

宇宙キッズセレクト 3Dマジックスコープ
 
  

実像と虚像の例ー利用しているものを選ぶ問題

 「実像と虚像を利用しているものを次の中から選んでみましょう」という問題があります。この問題は「実像と虚像の身近な例を挙げてみましょう」と同じよう内容に思えるかもしれませんが、実は非常に解答が難しくなる問題で、適切に解説しないと、実像と虚像の違いの理解に混乱を生じさせます。逆に適切に解説できれば、実像と虚像の違いを深いところまでしっかりと理解できることになります。

 この問題の解答は、たとえばルーペ、平面鏡、望遠鏡、顕微鏡、カメラ、映写機などを挙げていくことになるでしょう。ルーペや平面鏡のような単純な光学器具は問題ありませんが、レンズや鏡を複数使っているものは、レンズや鏡がどのように使われているのかまでを考えておかないと正しい解答を導くことができません。

 まず、もっとも身近なものとして、私たちの眼を考えてみましょう。次の図は私たちの眼の構造を示したものです。


目の構造

 眼に届いた光はまず角膜で大きく屈折して眼の中に入ります。このとき、虹彩は明るさによって瞳孔の大きさを変化させ、眼に入る光の量を調整します。瞳孔を通った光は眼房を通り抜けて水晶体に入り、ガラス体を通り、網膜上に物体の実像を結びます。網膜には光を感じる細胞があり、細胞が捉えた光の情報が視神経を通って脳に伝わります。網膜上で結ぶ物体の実像は倒立像ですが、私たちは脳の働きで正立しているように見ることができます。


網膜に結ぶ物体の実像

カメラ

 次の図はカメラの構造を示したものです。カメラは物体からやってきた光をレンズで集光し、フィルム上に実像をつくります。このとき、絞りによってカメラに入る光の量が調整されます。また、フィルムを感光させる時間はシャッタースピードで決まります。フィルムに実像の光が感光すると、フィルムに写真の元になる光の情報が記録されます。デジタルカメラの場合は、フィルムの代わりに撮像画素の上に実像を作り、撮像画素で捉えた実像の色や明るさの情報を元に写真の画像を作ります。


カメラの基本的な構造

光学顕微鏡

 次の図は光学顕微鏡の基本的な仕組みを示したものです。顕微鏡は小さい焦点距離をもつ対物レンズと、大きい焦点距離をもつ接眼レンズを組み合わせた構造をしています。 顕微鏡で物体を観察するときには、対物レンズの下に物体を置き、接眼レンズをのぞきます。物体は対物レンズによって拡大され、物体の実像が同図Aの位置にできます。Aの位置は接眼レンズの前側焦点の内側ですから、この実像を接眼レンズでのぞくと、Bの位置に拡大された虚像が見えることになります。


光学顕微鏡の基本的な仕組み

 「実像と虚像を利用しているものを次の中から選んでみましょう」の問題の選択肢に顕微鏡があったとき、どのように解答すると良いでしょうか。

 接眼レンズを通して見ているのは物体の実像の虚像です。虚像を見ているから解答は虚像と考えるのが試験における解答のテクニックかもしれません。しかし、顕微鏡の仕組みを理解している人は、実像と虚像を利用していると解答するでしょう。なぜなら、顕微鏡が1枚の凸レンズのルーペより物体を大きく拡大して見ることができるのは、対物レンズで物体の実像を作っているからで、この仕組みが顕微鏡の要なのです。この仕組みがわかると、顕微鏡で見える虚像が倒立像になっている理由も理解できます。

望遠鏡

 現在、使われている望遠鏡の多くはケプラー式望遠鏡です。ケプラー式顕微鏡は大きい焦点距離をもつ対物レンズと、小さい焦点距離をもつ接眼レンズを組み合わせた構造をしています。 遠くの物体は対物レンズによって拡大され、物体の実像がAの位置にできます。この実像を接眼レンズでのぞくと、Bの位置に拡大された虚像が見えます。


ケプラー式望遠鏡の基本的な仕組み

 ケプラー式望遠鏡も、試験の解答としては虚像を利用しているものということになりますが、実像と虚像の両方を利用しているところが要です。

 ケプラー式望遠鏡は拡大されたものを倒立像として見ますが、天体観測では倒立像でも問題ないため、天体望遠鏡として広く使われています。また、地上用の望遠鏡では、内部にプリズムを入れて正立像を得られるようにしています。

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2020年6月25日木曜日

印刷屋さんの色合わせープロセス印刷と特色印刷

印刷屋さんの色合わせはシビア

 学校の美術の授業で、先生から「おいおい空の青はもっと明るいはずだよ」と言われた経験がある人もいると思います。そう言われると、さっそく白い絵の具を取り出して、自分が作った空色に白い絵の具を混ぜて色を調整することになります。

 学校の授業で描いたものなら実際の色と少しばかり違っていても問題にはなりませんが、チラシ、カタログ、雑誌、本などの印刷物となるとそうはいきません。微妙に色が違っているだけで「頼んだ色はこの色ではない」「実物とは色が違う」などのクレームが出てきてしまいます。もっともシビアな色合わせを要求されている印刷屋さんは、どのようにして色合わせをしているのでしょうか。

プロセス印刷と特色印刷

 印刷屋さんでの色の取り扱いは二つあります。ひとつはプロセス印刷といってC(シアン)、M(マゼンタ)、Y(イエロー)、K(キー・プレート、通常は黒)の四色の網点を使って色を作り出す方法です。通常のカラー印刷はプロセス印刷で行われます。身近な例として、インクジェット式のカラープリンタがあります。印刷物をルーペで拡大してみるとわかりますが、すべての色はCMYKの四色の網点で表現されています。例えば、緑色はYとCのインクの網点で作られています。色の濃淡は網点の密度で表現されます。網点がどのようなものかはカラー印刷された年賀状などをルーペで拡大するなどして確認してみてください。

 もうひとつは特色印刷といって、その色のインクを使う方法です。特色印刷では、プロセス印刷と違って、目的の色そのものの色のインクが使われます。

印刷屋さんの色合わせ

 さて印刷屋さんが色合わせをするのは特色印刷の場合です。インク会社では、各色のインクが実際にどのような色かをまとめた見本帳を用意しています。見本帳にはさまざまな色のサンプルが印刷されています。印刷屋さんはこの見本帳を見て、どのインクを使うか判断します。


日本塗料工業会 色見本帳

 ところが、客先から指定された色(指定色)となると、必ずしもこの見本帳の中から最適なインクが見つかるとは限りません。そのため印刷屋さんは既存のインクを混ぜ合わせて目的の色を作り出す色合わせ作業を行います。

 色合わせ作業は指定色と同じ色のインクを作る作業になりますが、単純に色があっていれば良いというわけではなく、どのような素材に印刷するのか、印刷物がどのような用途に使われるのかを考えて、目的に合致したインクを選ぶ必要があります。

 色作りの作業や作った色が合っているかの判断は熟練の職人の目によって行われます。絵の具で、ある色を作り出すように、インクを混ぜ合わせながら目的の色を作っていくのですから、これは大変な作業です。色合わせが正しいかどうか機械で判断する方法もありますが、現状では職人の速さと正確さには敵わないのです。ただし、人間の目による判断では再現性に問題がある・数値化が不可能などの問題もあり、最近では色彩計分光測色計などの測定機器が普及しています。

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2020年6月24日水曜日

虹の神話ー虹ができる仕組み①

古代の人々にとっての虹

 雨上がりの空にかかる虹はとても綺麗です。虹は自然が作り出す大空のキャンパスに描かれた光と色の芸術と言えるでしょう。古代の人々はあの美しい虹を見て、どのように捉えていたのでしょうか。

 この地球に現在の人類の祖先が登場したのは今から20万年以上も前のことです。もちろん、そのはるか昔から、様々な自然現象は発生していました。

 原始の人々は本能的に五感を駆使し、身を持って自然を感じていたでしょう。彼らが感じることができた自然のさまざまな変化は、彼らの生活に潤いを与えたり、大きなダメージを与えたり、時としてその命すら奪うこともあったでしょう。

 原始の人々にとって、自然は畏れ多いものであり、その存在や変化は神の恵み・神の怒り・神聖なもの・邪悪なものとして捉えてたに違いありません。それから長い歳月を経て、世界各地でいろいろな文明が発祥しますが、原始の人々の思いは継承されていくのです。

 古代の人々にとって、この世界がどのように生まれ、身の回りのものが何からできているのかという疑問に対する答えは、神々の存在だったに違いありません。そして、非日常的な自然現象は、神々がもたすものと捉えていたに違いありません。

 雨上がりに大空にかかる虹はどの地域の人々にとっても象徴的な自然現象だったに違いありません。

古代中国における虹 

 古代中国では、虹は龍に変化する大蛇が天と地を結ぶときに現れると考えられていました。虹という漢字は「蛇」を意味する虫の偏(へん)に、「貫く」「天と地を結ぶ」を意味する工の旁(つくり)からなります。

 虹は、明るく見える主虹と、やや暗く見える副虹ができますが、主虹を「虹」、副虹を「霓」または「蜺」とし、合わせて「虹霓(こうげい)」または「虹蜺(こうげい)」と呼びました。


主虹(下側)と副虹(上側)

 そして、虹霓の「虹」は雄の龍で、「霓」「蜺」は雌の龍と考え、虹は雄雌一対の龍が現れたものと考えられていたようです。

 古代中国では、一般に虹は戦乱や災害などが起きる前兆など不吉のなものと捉えられていました。一方で、龍は吉兆の象徴であることから、虹も良いことが起きる前兆と捉えられる場合もありました。

古代ギリシア神話における虹

 古代ギリシア神話にイーリス(Ἶρις、英語ではアイリス)という虹の女神がいます。ギリシア語の「Ἶρις」は虹を意味します。

 イーリスは天地を瞬く間に結ぶ虹であり、遠くの場所に一瞬で移動することができました。そのため、ギリシア神話の最高位の女神ヘーラーの腹心として伝令の使いの役割を担っていました。


アントニオ・パロミノ『空気の寓意:ヘーラーとイーリス』(1700年)

 また、ギリシア神話の最高位の全知全能の神であるゼウスは、神々同士に争いが生じたときなどに、イーリスを冥界に遣わし、誓約の証として神々を支配することができるステュクスの水を汲みにいかせました。神々はステュクスの水を飲んで誓言しますが、誓言を守らなければ1年間仮死状態に陥り、その後9年間はオリュンポスから追放されてしまいます。罪が許させるまで10年を要したそうです。

古代日本における虹

 古代日本では、日本神話の国生みに虹がでてきます。天地開闢(てんちかいびゃく)すると、高天原(たかまがはら)に5柱の別天津神(ことあまつかみ)、12柱の神世七代(かみのよななよ)の神々が現れ、最後にイザナギとイザナミが生まれました。

 神々が高天原から下界を見下ろすと、できたばかりの下界は混沌と漂っていました。別天津神はイザナギとイザナミに天沼矛(あめのぬぼこ)を与え、下界を秩序あるものとし、国造りをするように命じました。イザナギとイザナミは、高天原から地上へとつながる天浮橋(あまのうきはし)の上に立って、天沼矛で下界をかきまぜました。このとき、天沼矛から滴り落ちたものが積もり積もって、淤能碁呂島(おのごろじま)となりました。この淤能碁呂島を足掛かりに、イザナギとイザナミは国生みと進めていきました。


小林永濯『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』
二神が天沼矛で地上の渾沌を掻き回して大八島(日本の島々)を生み出そうとしている。

 さて、この話の中に出てくる高天原から地上へとつながる天浮橋が虹であったという説があります。古事記などには天浮橋が虹の橋であるという言及はありませんが、古代の人々にとって天と地をつなぐ橋と言えば虹のことであり、日本以外の神話にも虹の橋がよく出てきていることなどが、この説を肯定する理由となっているようです。もちろん、天浮橋は虹ではないという説もあります。

 また、7世紀の後半から8世紀後半にかけて編纂された「万葉集」に虹について読んだ和歌が一首あります。

 第十四巻三四一四
【原文】伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢乎佐祢弖婆
【訓読】伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の現はろまでもさ寝をさ寝てば
【かな】いかほろの やさかのゐでに たつのじの あらはろまでも さねをさねてば
【詠人】不明

 この和歌は「伊香保の八尺の土手の上に高々と立つ美しい虹のように、私たちも人目をおそれず共寝することができたらどんなにいいことでしょうか」という意味で、許されない恋をしている女性が男性に対する愛を虹にたとえたものだそうです。

創世記における虹

 聖書の創世記9章のノアの方舟の話の中に虹が出てきます。ノアの大洪水の後、神は再びこの地に大洪水を起こして地を滅ぼすようなことはしないという契約の印として、虹を雲の中に立てたとあります。
  
神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。あなたがたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。 人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに。 あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、地の上にふえよ」

 神はノアおよび共にいる子らに言われた
「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。 またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」

さらに神は言われた
「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に虹を置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。 わたしが雲を地の上に起すとき、虹は雲の中に現れる。こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。虹が雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」

そして神はノアに言われた
「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。

 創世記では、虹は人類をはじめとする生物の発展をもたらした神との契約の印であり、神聖なものと考えられています。 


ドメニコ・モレッリ『方舟を出た後のノアによる感謝の祈り』
1910年までに描かれた作品。主虹と副虹が正しく描かれている

 虹は英語ではRainbowですが、これはRain(雨)とbow(弓)が組み合わさった複合語です。確かに虹は弓の形をしています。バラモン教やヒンドゥー教の神で雷神のインドラが雷の矢を放つのに使った弓が虹とされ、サンスクリット語では、虹のことを「インドラの弓(indradhanus)」といいます。また、虹を橋や道として捉える文化も多く、北欧では日本神話の天浮橋と同様に、虹は天上の神の世界に通じる橋と考えられていました。

 このように虹は様々なものに捉えられていましたが、古代の人々にとっては神々がもたらしたものであり、吉であれ、凶であれ、畏れ多いものだったに違いありません。

 虹の現象について神話的を排除し、科学的に真理を追求するようになったのは、紀元前6世紀以降の古代ギリシアの自然哲学者が現れてからです。

虹の神話ー虹ができる仕組み①

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スマートフォンのデュアルカメラやトリプルカメラの役割は?

デュアルカメラ、トリプルカメラとは?

 最近のスマートフォンは、レンズが2つ装着されたデュアルカメラや3つ装着されたトリプルカメラが搭載されたものがあります。

 デュアルカメラやトリプルカメラには、異なる特徴を持つカメラが搭載されており、1枚の写真を撮影するときに、どれかのカメラを選択的に利用したり、複数のカメラで画像を撮影し、データ処理によって1枚の写真に仕上げたりすることができるようになっています。

 どのようなカメラが搭載されているかはスマートフォンによって異なりますが、焦点距離と画角が異なるカメラを組み合わせたものや、カラーカメラとモノクロカメラを組み合わせたものなどがあります。

異なる焦点距離と画角のカメラの組み合わせ

 焦点距離と画角が異なるカメラの組み合わせでは、デュアルカメラでは標準レンズと望遠レンズを組み合わせたもの、トリプルカメラでは、さらに超広角レンズを加えたものがあります。

 焦点距離の異なるレンズを搭載すると、単に画像を拡大するデジタル式ズームと違って、光学式ズームにできるため、画質の劣化のない綺麗なズーム写真を撮影することができます。

 また、一眼レフで写真を撮影するとき、F値を小さくし、被写界深度を浅くすることにより、被写体のみにピントを合わせて背景をぼかした写真を撮影することができます。

 一方、普通のスマートフォンのカメラは被写界深度が深いため、裏技的な操作をしない限り、そのような写真を撮影することができません。

 そこで、デュアルカメラやトリプルカメラを用いると、複数のレンズでそれぞれ撮影した画像を合成することができるため、特別な撮影技術も不要で、一眼レフで撮影したような写真を撮影することが可能になります。

カラーとモノクロのカメラの組み合わせ

 カラーカメラとモノクロカメラを組み合わせでは、カラーカメラで撮影した写真に、モノクロカメラが捉えた微細な陰影を合成することにより、表現力のある品質の高い写真を撮影することができます。

 モノクロのセンサーはカラーのセンサーより光の強弱をより詳細に認識できるため、このタイプのカメラは暗い場所での撮影に強く、鮮明な写真が撮ることができます。

 このようにデュアルカメラやトリプルカメラは搭載するカメラの組み合わせや、撮影した写真の合成や画像処理で、様々な写真に仕上げることができます。

進化するスマートフォンのカメラ

 スマートフォンのカメラは単に写真を撮るだけではなく、カメラを使った便利な機能を利用したり、写真を自分好みに仕上げたりすることができるため、たくさん人がスマートフォンのカメラを日常生活の中で楽しく利用しています。その結果、アプリの需要も増えていき、さらに新しいアイデアが盛り込まれた新機能をもったアプリが次々と開発されています。

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2020年6月20日土曜日

光あれ! Let there be light ! ー光るとはどのような現象か?

光るとは

 辞書で「光る」を調べてみると、「光を放つ」「光を反射して輝く」などの説明が出てきます。前者は物体が自ら光を出す状態、後者は物体が光を反射して、あたかも自ら光を出しているように見える状態です。

 私たちのまわりには光るものがたくさんありますが、太陽や電灯のように、みずから光を出す物体を光源といいます。


自ら発光する太陽(左)とロウソク(中)と蛍光灯(右)

 夜空に輝く月や輝いている水面などは光を反射しているだけなので光源ではありません。


光を反射して輝く月(左)と水面(右)

高温の物体は光を放つ

 高温に熱せられたものが光を出すことは多くの人が経験から知っていると思います。例えば、炭に火をつけると、炭の表面から赤い光が出てきます。高温の物体から光が出てくるしくみを考えてみましょう。


炭火

 電熱線に電気と通すと、発熱と同時に暗赤色になります。電熱線は温度が高くなるにつれて明るい色を出します。このとき、電熱線が発熱するのは、電熱線の金属原子が振動するからです。原子が振動するとき、原子の中の電子は原子より軽いため、より激しく振動します。電荷をもつ電子が振動すると、電磁波が発生します。

 冷たい氷を含めて、あらゆる物体は熱をもち赤外線を出しています。これは電子の振動に由来します。そして、物体の温度が上昇して電子の振動エネルギーが可視光線のエネルギーに相当する大きさになると、目に見える光が出てきます。電子の振動が激しくなるにつれて、光の波長の種類と光の量が増え、やがて白色光や青白い光が出てくるようになります。このように物体が熱を光として出す現象を熱放射といいます。熱放射で物体から出てくる光の色や強さは、物体によらず温度で決まります。これを黒体輻射といいます。


黒体放射のスペクトル(プランクの公式による計算値)

 身近な例では、白熱電球は、熱放射で光を出しています。白熱電球は電気エネルギーを熱エネルギーに変換してから光を出すため、電気エネルギーを光に変換する効率が低く、100 ワットの電球で 10%程度しかありません。そのため、光っている電球は非常に熱くなっています。

低温の物体も光を出す

 光ってる蛍光灯は、白熱電球に比べると、それほど熱くありません。これは蛍光灯が電気エネルギーを光に直接変換しているからです。また、パーティやコンサートで使われるスティック型のケミカルライトは、スティックを折ると化学反応が起こり、光を出し始めます。このとき、スティックは熱くなりません。


ケミカルライト

ホタルは体内で化学反応を起こし光を出しますが、光っているお尻の部分をさわっても熱くありません。

美しい!ほたるの乱舞 Fireflies fly around a lot

 このような熱を伴わない光を冷光といいます。物体が熱を伴わずに光を出すしくみを考えてみましょう。

 物質はたくさんの原子からできています。原子はプラスの電気をもつ原子核とマイナスの電気をもつ電子からできています。通常、原子は原子核と電子の電荷がつり合った安定したエネルギー状態を維持しています。このとき、電子のエネルギー状態は安定した基底状態にあります。原子が外部から何らかのエネルギーによる刺激を受けると、電子のエネルギー状態が高くなり励起状態となります。励起状態となった電子は直ちに安定した基底状態に戻ります。このとき電子は励起状態と基底状態の差分のエネルギーに相当する電磁波を放出します。この差分のエネルギーが可視光線のエネルギーに相当するとき、目に見える光が出てきます。


電子遷移の模式図
電子は外部からエネルギーを受け取ると、軌道を飛び超えて励起状態となる。
すぐに電子は元の軌道に戻り、基底状態となる。差分エネルギーを光として放出する

 このような発光をルミネッセンスと呼び、電子を励起状態にする刺激をつけて区別します。たとえば、蛍光灯のように電気エネルギーを使うものはエレクトロルミネッセンス、ケミカルライトのように化学反応を使うものはケミカルルミネッセンス、ホタルのように生物によるものはバイオルミネッセンスと呼ばれます。また、光をあてると、光を出す蛍光塗料は、光を刺激に使っているのでフォトルミネッセンスと呼ばれます。

 ルミネッセンスは原子や分子の中で電子が取るエネルギー状態が変化することで光が出てくる現象です。このような電子のエネルギーの状態変化を電子遷移と呼びます。ルミネッセンスで物質が光り続けるのは、刺激が与え続けられ、電子エネルギーの状態変化が繰り返し起こるからです。刺激がなくなれば光は出てこなくなります。 

 特殊な例として、りん光があります。りん光は電子が安定したエネルギー状態に戻るまでの時間が遅く、ジワジワと光を出します。夜光塗料がその例ですが、光のエネルギーを蓄えるという意味で蓄光とも呼ばれます。


りん光による脱出経路案内

電子のエネルギーの変化が光をつくる

 熱放射にしろ、ルミネッセンスにしろ、物体の発光に共通するのは、電子がもつエネルギーの変化です。つまり、光は電子が持つエネルギーの姿形が変わったものといってもよいでしょう。

 光あれ!光あるところに電子あり、光の輝きの影に電子の活躍あり。

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2020年6月18日木曜日

白と黒から色が生じる 主観色とベンハムの独楽ー白と黒のはざまに(3)

主観色 回転すると色が見える独楽

 ドイツの物理学者・哲学者・心理学者のグスタフ・フェヒナーは、1838年に白黒の円盤を回転させると、円盤に色がついているように見える現象が発見しました。フェヒナーは、この現象が観察者によって主観的に生じると考え、この色を主観色と名付けました。主観色はフェヒナーの色とも呼ばれます。

 1895年、イギリスの玩具製造業者のチャールズ・ベンハムは上部を白と黒に塗り分けたベンハムの独楽(コマ)を発売しました。この独楽を回転すると、薄い色がついた円弧がたくさん現れます。

ベンハムの独楽

 フェフィナーが現象を見つけたが1838年、ベンハムがベンハムの独楽を発売したのが1895年と57年間もの開きがあります。「ベンハムの独楽」があまりにも有名なので、この現象を発見したのがフェヒナーであることはあまり知られていないかもしれません。
 

フェヒナー(左)とベンハム(右)

 ベンハムの独楽の白色の部分は白色光を反射します。白色光をプリズムに通すと、光が分散して光の色の帯が現れます。また、白色光をCD(コンパクトディスク)の裏面やシャボン玉の表面に当てると、光が回折・干渉して、やはり光の色の帯が現れます。

プリズムによる光の分散(上)とCDによる光の回折とシャボン玉による干渉(下)

 このように白色光は様々な色の光に分光することができますが、ベンハムの独楽で生じる色もコマの表面で反射した白色光が分光して現れた色なのでしょうか。もし、反射光が分光して色が生じているのであれば、上のCDや虹の写真のように現れた色を写真で捉えることができるはずです。

 回転しているベンハムの独楽の静止画を撮影しても、色がついていない写真となります。一方、動画で撮影した場合は、次の動画のようにの薄い色がついた円弧が見えます。動画の静止画を撮影すると、やはり色がついていない写真となります。どうやらベンハムの独楽が回転している状態でなければ、色は見えないようです。

【衝撃】白黒なのにジワジワと色が見えてくる不思議な動画

ベンハムの独楽で色が見える仕組み

 実は、ベンハムの独楽の色はコマが回転しているときにしか見えません。また、コマに当てる光を白色光ではなく黄色などの単色光に変えても別の色が見えます。そして、人によって見える色が異なります。ですから、ベンハムの独楽で色が生じる仕組みは、プリズムやCDやシャボン玉で色が生じる仕組みとは異なります。

  ベンハムの独楽の色は錯視で生じます。その仕組みは完全には解明されていませんが、錯視だからと言って、ベンハムの独楽の色が偽物ということはありません。私たちに見える限り、普通の物体の色も、ベンハムの独楽で生じる色も本物の色です。

 私たちは、眼の網膜にある赤・緑・青の光に反応する3種類の錐体細胞で色を感じています。ベンハムの独楽の色は錐体細胞の応答時間の違い、残像効果で生じると考えられています。

 白と黒で塗り分けられた独楽が高速で回転すると、独楽で反射した白色光が眼に入ったり、入らなかったりします。白色光には赤・緑・青の光も含まれていますので、3つの錐体は同時に応答します。このとき、例えば、錐体細胞の応答時間が赤・緑・青の順に短いとすると、白から黒に切り替わったとき、まず赤の残像がなくなるので、緑と青の混色のシアンが見えます。続いて、緑の残像がなくると、青が見えることになります。

 ベンハムの独楽は、私たちが見ている色は光源や物体の色だけでは決まらないことを教えてくれます。アリストテレスが変改説で唱えた、色は白と黒から生じるという考えには感慨深いものがあるのではないでしょうか。

白と黒から色が生じる ベンハムの独楽ー白と黒のはざまに(3)

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2020年6月17日水曜日

白と黒は色なのか?ー白と黒のはざまに(2)

白色とは

 光の色としての白とは、太陽光や蛍光灯の光のように無色の光のことを意味します。このような光を白色光と呼びます。白色光は無色透明なので、明るい空間が見えるだけで、白色光そのものを白いと感じることはできません。これは日常の経験からもわかると思います。

 物体の色としての白は、白色光で照らされた物体が白色光のほとんどを吸収せずに乱反射しているときに見える色のことを意味します。光源から出ている光線が白く見えることがありますが、これは光が空気中の微粒子で乱反射しているために光芒が見えるのです。光を見ているというより、光に漂う微粒子(物体)を見ていると言った方が的を射ています。赤色や青色などの色は、物体が白色光の一部の光を吸収し、それ以外の光を乱反射することによって生じます。


 白い物体は元をたどると透明な物質です。白色光のもとで、氷やガラスなどの無色透明の物質を細かく砕くと、白色の微粒子になります。無色透明の物質の微粒子は白色光を吸収せず乱反射するため、白色に見えるのです。白色の絵の具は透明ではありませんが、基材(展色材)に透明な粒子を分散させたものです。白い紙は無色透明のセルロースの繊維がたくさん集まったものです。

黒色とは

 光の色としての黒とは、光が存在しないことを意味します。例えば、テレビに表示されている画像の中で黒色に見える部分は、その部分が発光していないため黒く見えるのです。光がなければ、空間は漆黒の世界になりますから、黒を感じることはできます。光が存在しないのですから、「光の色としての黒」と言う表現は厳密には誤りでしょう。

 物体の色としての黒は、白色光で照らされた物体が白色光のほとんどを吸収して反射する光がないときに見える色のことを意味します。私たちが物体を見たとき、物体から出てくる光を可視領域全域にわたって感じることができない状態のときに、私たちはその物体が黒色であると認識します。なお、黒い物体には黒光りしているものもありますが、これは光沢を与えて光を鏡のように正反射するようにしたものです。

灰色とは

 白と黒の中間色を灰色と呼びます。光の色としての灰色は白色光の明るさで決まります。光の明るさが低くなると、空間が薄暗くなりますが、このときの光を灰色と感じることはできません。

 物体の色としての灰色は、白色光で照らされた物体がある程度の白色光を吸収・反射しているとき見える色のことを意味します。灰色は物体の反射率で決まり、反射率が高いほど明るい灰色になり、低いほど暗い灰色になります。


 白、黒を含め、白と黒の混色で生じる様々な明るさの灰色のことを無彩色と呼びます。無彩色は色味がなく明るさだけで決まる色です。これに対して、赤や青など、色味のある色を有彩色といいます。

無彩色は色なのか?

 無彩「色」といいますが、無彩色はコントラストだけですから、色ではないのではないかという指摘もあります。確かに日常生活でも「白黒写真には色がついていないが、カラー写真には色がついている」などと言います。


 一方で、白色の絵具、黒色の絵具という認識はありますし、色彩心理学では白に対するイメージ、黒に対するイメージなどと説明が出てきます。

 白と黒は色なのか?この答えは物理的に一義的に決められるようなものではなさそうです。これは私見ではありますが、たとえば、白黒写真においては、白・灰色・黒を色として認知する人は少ないかもしれません。しかし、カラー写真においては、様々な有彩色と一緒に写っている白・灰色・黒は色と認知する人は多いのではないでしょうか。


 無彩色は有彩色と一緒に存在しているときに、色と認知しやすいのではないかと思いますし、有彩色の知識と体験の記憶があれば、無彩色だけの部屋に入ったときなど、無彩色を色と認知する場合もあるかもしれません。

白と黒は色なのか?ー白と黒のはざまに(2)

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2020年6月15日月曜日

アリストテレスの変改説(変容説・変化説)と色彩論|白と黒のはざまに(1)

白と黒のはざまに

 西の空に太陽が傾くと、空が真っ赤な色に染まります。やがて、太陽が地平線に沈むと、空の色が失われ、光に満ちあふれていた世界が、漆黒の闇の世界となります。


 そして、朝日が昇り、夜が開けると、世界は光を取り戻し、さまざまな色で満ちあふれます。

  古代ギリシャの哲学者アリストテレスは色は光と闇のはざま、つまり白と黒の間に生じると考えました。アリストテレスは白色光が媒質を通ることによって暗くなり、その過程で、白と黒の間に、黄、赤、紫、緑、青が生じると考えました。これをアリストテレスの変改説または変容説変化説といいます。

 このアリストテレスの色彩論は、今でこそ誤りであることは明白ですが、ニュートンが白色光をプリズムでさまざまな色の光に分解することができ、さらに分解した光を集めると元の白色光に戻ることを証明する実験を行うまで支持されていました。

 ニュートンは1704年に著した【Opticks 和名:光学』のPART II. PROP. I. Theor. I. において次のように述べ、アリストテレスの変改説を否定しています。

Opticks by Isaac Newton (pg 113)
http://www.gutenberg.org/files/33504/33504-h/33504-h.htm
The Phænomena of Colours in refracted or reflected Light are not caused by new Modifications of the Light variously impress'd, according to the various Terminations of the Light and Shadow.
屈折もしくは反射する光における色の現象は、光と影の様々な終端に応じて、様々に特徴づけれる光の新たな改変によって引き起こされるものではない。

アリストテレスの変改説(変容説、変化説)と色彩論

 アリストテレスはどのような考えのもと変改説(変化説)に至ったのでしょうか。アリストテレスは著作『Περὶ Ψυχῆς(ラテン語:デ・アニマ、和名:霊魂論/魂について/心とは何か)英語名:On the soul』の第二巻において感覚を取りあげ、第7章で視覚と色について言及しています。

 アリストテレスは視覚と色を論じるにあたり、まず視覚の対象は物体の色の表面にある色であると定義し、どのように色が生じるのかについて考察しています。そして、この考察の中で、アリストテレスが議論の中心として取りあげているのが透明なものです。なぜ視覚と色の説明に透明なものを取りあげたのでしょうか。

 私たちが物体を見るとき、眼と物体の間には必ず透明なものがあります。アリストテレスの言う透明のものとは空気や水などのことですから、これは私たちの日常体験からも理解できるでしょう。そして、当時の四元素説において、空気と水は、火や土と並んで万物を構成する元素ですから、特別な働きがあると考えられていました。

 アリストテレスは、色は物体の表面に存在し、その色が透明なものに作用すると説明しています。そして、透明なものは眼と物体の間に絶え間なく存在しているので、色が透明なものに与えた作用は視覚器官に作用すると説明しています。アリストテレスは、透明なものは、色を伝える媒質であると考えたのです。さらに、透明なものは見ることができるが、それ自体が見えるわけではなく、その先にある色によって見えると説明しています。そして、この透明なものの状態から光について言及しています。

 アリストテレスは、透明なものが明るい状態にあるとき、それが光であると述べています。また、透明なものは潜在的に明るい状態になる能力をもち、光でない状態のときには、あたりは闇であると述べています。そして、透明なものが明るい状態のときには、火などの光源が存在すると述べています。また、透明なものが明るい状態というのは、透明なものの色のようなものであるが、光そのものは、火でもなく、物体でもなく、物体から出てくるものではない、光そのものが見えているのではなく、見えているのはあくまでも物体の表面の色であると述べています。

 アリストテレスの視覚と色の理論における光とは、色を発現させるものと考えることができるでしょう。光そのものは眼に見えませんが、透明なものに明るさをもたらすことによって、色が見えるようになり、そして光の存在を感知することができます。

 これは、私たちの日常の体験からそうかけ離れた説明ではありません。光が存在していなけれは色は見ることができませんし、光がまったくなくなれば漆黒の暗闇になります。

 アリストテレスは光と闇を対局的な存在と考え、透明なものの状態によって、色が生じると考え、明るい白から暗闇の黒へ、白、黄、赤、紫、緑、青、黒の順に色が変化すると結論づけたのです。

色は作れるのか

 アリストテレスの師であるプラトンは色と色を混ぜ合わせて新しい色を作り出す行為は神に対する冒涜であると考えました。プラトンの哲学は、イデア論という思想が背景にあり、事象に対して精神的、観念的に本質的なものを追求するものでした。我々が体験している事象や世界はあくまでイデアの似像にすぎないと考えたのです。弟子のアリストテレスは自然哲学を重視していたので、観察をしっかりと行い、事象の仕組みを科学的に追求していきました。

 アリストテレスの色彩論では、光の色と物体の色の区別は明確ではありませんが、白と黒を混合する割合を変えることで、様々な色を作ることができることになります。しかし、実際に白い絵の具と黒い絵の具を任意の割合で混ぜても、様々な明るさの灰色ができるだけで、赤や青などの色を作ることはできません。また、部屋の中で電灯を暗くしていくと、あたりが次第に暗くなるにつれて、物体の色の明るさも暗くなっていきますが、そこに新たな色が生じることはありません。

 アリストテレスは光と色との間に関係があることは示すことができましたが、色の本質については明らかにすることはできなかったのです。

アリストテレスの変改説(変容説・変化説)と色彩論|白と黒のはざまに(1)

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2020年6月8日月曜日

実像|図解 光学用語

実像とは(じつぞう、Real Image)

 物体から出た光がレンズで透過・屈折したり、鏡で反射したりすることによって集束する光線によってできる像のことを実像といいます。

凸レンズでできる実像(上)と凹面鏡でできる実像(下)

 実像は光が集まってできる像なので、実像のできる位置にスクリーンを置くと、倒立した像を投影することができます。また、スクリーン側からレンズを覗くと、自身の目で倒立像を見ることができます。

凸レンズでできる実像をスクリーンに映す

 映画でスクリーンに映し出される映像は凸レンズの働きでできる実像、スプーンをのぞいたときにひっくり返って見える自分の顔の倒立像は凹面鏡の働きでできる実像です。映画の映像は倒立像ではありませんが、これは正立像となるように、フィルムをひっくり返して映写機にかけているためです。ですから、倒立像か正立像で実像か虚像かを判断するのは誤りです。


水を入れた丸底フラスコでできる実像(左)と凹面鏡でできる実像

 また、一般に、実像は凸レンズや凹面鏡の焦点の外側に物体を置いたときにできる像と説明されることが多いのですが、ピンホールを通過する光線や平面鏡で反射する光線がスクリーンに作る像も実像です。

 次の図の左はピンホールカメラで像ができる仕組みを示したものです。右の写真は部分日食の太陽を平面鏡で壁に映した様子を撮影したものです。平面鏡と壁の距離が短いうちは、平面鏡の形をした明るい光が壁に映るだけですが、距離を長くすると太陽の形をした実像が映ります。ピンホールは光を通過させて実像を作りますが、鏡は光の進む向きを反転させて実像を作ります。


ピンホールでできる実像(左)と平面鏡でできる実像(右)

JIS Z 8120 : 2001 【光学用語】では実像は「光学系の射出面から出た収束光線束が,像空間で結ぶ像」と定義されています。

 図解 光学用語

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2020年6月4日木曜日

虚像|図解 光学用語

虚像とは(きょぞう、virtual image)

物体から出た光がレンズで透過・屈折したり、鏡で反射したりすることによって発散する光線を逆方向に延長したときに、そこにあたかも物体があるかのように見える像のことを虚像といいます。


凸レンズでできる虚像(左)と平面鏡できる虚像(右)

 上図の赤と青の実線は光線を示していますが、赤と青の破線は光線ではありません。私たちは体験的に光が直進することを知っているため、光がやってくる方向に光源や物体があると認識します。ですから、光がやってきた延長線上(破線の先)に物体があるかのように虚像を見てしまうのです。ですから、虚像は光が集まってできる像ではありませんし、虚像から光は出ていませんので、虚像をスクリーンに投影することはできませんが、レンズを覗くと正立像を見ることができます。


凸レンズでできる虚像を見る

 ルーペで拡大した正立像や鏡の中に映る正立像は虚像です。

球体レンズの虚像(左)とカーブミラーの虚像(右)

 また、カップの底に置いたコインが、カップに水を入れると浮かび上がって見えますが、この浮かび上がって見えるコインは虚像です。


水を入れるまえ(左)と水を入れたあと(右)

JIS Z 8120 : 2001 【光学用語】では虚像は「光学系の射出面から出た発散光線束が,像空間で結ぶ像」と定義されています。

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2020年6月3日水曜日

ヒマワリの花は太陽を追いかけているのか? 植物の屈光性とは

ヒマワリの名前の由来

 ヒマワリ(向日葵:漢名コウジツキ)はキク科の一年草で原産地は北アメリカ西部と考えられています。ヒマワリはニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマソウ(日車草)とも呼ばれます。英語ではsunflower、フランス語では tournesolです。フランス語のtournesolは「向きを変える」という意味のtournerと、「太陽」という意味のSoleilが合わさった複合語で、日本語のヒマワリと同じような名前の付け方です。太陽の動きを追いかけるように花が向きを変えるので、ヒマワリ(向日葵)という名前が付けられたのですが、花の形が太陽を連想させたり、花が咲く季節が太陽が輝く夏だったりすることも関係していると考えられます。

ヒマワリの花

ヒマワリは光を追いかける

 ヒマワリは花が咲く前の成長期から太陽の動きを追いかけて向きを変えます。ですから、ヒマワリの花そのものが太陽を感知しているわけではありません。また、太陽がある方向に遮蔽物あり、直射日光が届かない場合、ヒマワリは太陽の方向ではなく、より明るい方を向きます。ですから、ヒマワリは太陽を追いかけて向きを変えているのではなく、光を追いかけて向きを変えているのです。

植物の屈光性とは

 植物や菌類が光に反応して屈曲する性質を屈光性、または光屈性といいます。ヒマワリのように植物が光に方向に屈曲して向きを変える性質を正の屈光性、光とは逆の方向に屈曲して向きを変える性質を負の屈光性といいます。

 ヒマワリの屈光性は、茎の成長を促す植物ホルモンのオーキシンという物質によって引き起こされます。


3-インドール酢酸(オーキシンの仲間)
 
 オーキシンは茎の先端(茎頂)で合成され、茎の下部へと移動しますが、植物中のタンパク質との作用により、茎中で日の当たらない方へ集まる性質があります。そのため、オーキシンは茎中で日向より日陰になっている部分にたくさん存在しています。
 
 オーキシンの働きによって、茎は日向より日陰の部分の方が成長し、日向の方向へと屈曲します。このため、ヒマワリの花が太陽の方へ向きを変えているように見えるのです。

 やがて、ヒマワリが成長を遂げると、オーキシンは合成されなくなります。大きな花が咲く頃には、ヒマワリは太陽を追いかける動きをしなくなります。

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2020年6月1日月曜日

光が生まれたのはいつか

宇宙の誕生

 この宇宙はおよそ138億年前に誕生したと考えられています。

 2001年に打ち上げられたウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe,WMAP)の観測により、2003年に宇宙はおよそ137億年前に誕生したことが判明しました。しかし、2009年に欧州宇宙機関が打ち上げた宇宙望遠鏡プランクの観測から、2013年に宇宙の誕生はおよそ138億年前と修正されました。

 生まれたばかりの宇宙は超高温・超高密度の極めて小さな空間でしたが、すぐに膨張を始めました。この宇宙の初期状態のことをビッグバンと言います。初期の宇宙では、物理法則も現在私たちが知っているものとは異なっていたと考えられています。

NASA | The Big Bang

光あれ

 宇宙が誕生すると光子を含む素粒子が生まれました。そして、クオークと呼ばれる素粒子が集まり、陽子や中性子ができました。この陽子と中性子が集まって水素やヘリウムの原子核ができました。宇宙空間は極めて高温であり、大量の電子が宇宙空間を自由に飛び回っていました。光子は電子に強く散乱され、宇宙空間をまっすぐに進むことができない状態でした。別の言い方をすると光子が宇宙空間を透過することができない状態、つまり宇宙は不透明だったのです。このときの光子の振る舞いは私たちがよく知っている光の振る舞いとはだいぶ違っていたと考えられます。

 宇宙が誕生して約 38 万年後、宇宙の温度が低下すると、電子が原子核に捉えられ原子となりました。これによって光子が宇宙空間をまっすぐに進むことができるようになりました。つまり、光が宇宙空間を長距離進むことができるようになり、宇宙が透明になったのです。これを宇宙の晴れ上がりと言います。私たちが日常体験の中でよく知っている光は宇宙の晴れ上がりのときに生まれたと考えて良いでしょう。

 宇宙の晴れ上がりで自由になった光子は現在も観測することができます。この光を宇宙マイクロ波背景放射(宇宙背景放射)と言います。宇宙マイクロ波背景放射は宇宙の全方向から等しくやってくる電磁波です。この電磁波のスペクトルは2.725 K の黒体放射のスペクトルによく一致しており、この光を調べることによって、宇宙の誕生や生い立ちを調べたり、推測したりすることができます。宇宙マイクロ波背景放射は私たちが出合うことができるもっとも古い光です。

太陽はいつ誕生したのか

 現在、地球にもっともたくさん降り注いでいる光は太陽光です。太陽が放つ光のエネルギーは約3.84 × 1023 kW で、地球に到達するエネルギーは約 1.75 × 1014 kW です。このうち約 3 割が大気や雲で宇宙空間に反射され、残りの約 7 割が地面や海面に届いています。

 太陽は誕生してから約 46 億年もの間、ずっと大量のエネルギーを放出し続けています。太陽がどのようにして生まれ、太陽で光がどのように生み出されるのか考えてみましょう。


 宇宙が誕生したときにできた水素やヘリウムのガスは、宇宙誕生から 1 ~ 2 億年後には宇宙空間にほぼ均等に広がっていました。やがて、これらのガスは自身の質量によって集まりだし、宇宙空間に密度の高いところと低いところができました。密度の高いところは銀河のもとになり、宇宙空間にたくさんの銀河のもとが誕生しました。

 銀河のもとの中でガスは雲のように集まっていました。この雲はガスの質量によって収縮し、塊のようになっていきました。ガスがどんどん収縮して密度が高くなると、塊の中心温度もどんどん上昇しました。すると、原子が激しく振動し、光を放つようになり原始星となりました。原始星は恒星の初期の状態です。原始星はさらに温度を上げ、やがて内部で核融合を起こすようになりました。このようにして宇宙にたくさんの銀河と恒星が生まれました。

 銀河のもとが円盤銀河になるまでには約60億年かかると考えられています。しかし、このほど、地球から123.9億光年離れたとことに円盤銀河(DLA0817g、ヴォルフェ円盤)があることが発見されました。現在、地球から観察しているDLA0817gは123.9億年前の姿です。宇宙の誕生が138億年前とすると、この円盤銀河は宇宙誕生からわずか15億年で形成されたと考えられます。銀河形成の謎は深まるばかりですが、このような発見が謎を解き明かしていくはずです。
誕生から15億年後の宇宙に回転円盤銀河を発見ーAstroArts
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/11270_dla0817g

 宇宙が誕生してから 90 億年ほどたった頃、銀河系のどこかで、ひとつの恒星がその一生を終えて超新星爆発を起こしました。爆発した恒星は宇宙空間にたくさんの元素を放出しました。放出された元素は宇宙に存在していたガスやチリと一緒に集まりだし、やがて新しい塊となりました。この塊が太陽のもととなりました。

 太陽の中心の大部分は水素でできています。水素原子4個が核融合してヘリウム原子となるときにエネルギーを放出します。酸素がない宇宙空間で太陽が燃えることができるのは太陽の中心で核融合が起きているからです。


【核融合】
 量数の小さい原子核が衝突して、質量数の大きい原子核が生まれること。1 回の核融合で約 100 万 eV のエネルギーが放出される。一般的な化学反応で原子 1 個あたりが放出するエネルギーの約 100 万倍に相当します。

 太陽の中心で生まれた光は太陽の内部を通って太陽の表面から出てきます。この過程で光は太陽内部に存在するたくさんの電子と相互作用します。たくさんの電子が光の吸収・再放出(=光子の消滅と生成)を繰り返しながら、光を太陽の中心から表面の方へ受け渡していきます。

 しかし、電子が光を放出する方向はバラバラなため、光はあちらへ行ったり、こちらへ来たりを繰り返しながら太陽内部を進みます。そのため、太陽の中心で生まれた光が太陽の表面から出てくるまでに数百万年から一千万年ぐらいかかります。

 したがって、いま私たちの地球に降り注いでいる太陽光は現在の人類の祖先がアフリカで誕生するより遠い昔に太陽の中心で生まれたものです。

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はじめに

 このブログはブログ「光と色と」の別館という位置付けで立ち上げた「光と色と THE NEXT」です。本館「光と色と」と同様に光や色に関する話題を提供して参ります。

 本館「光と色と」も閉鎖するわけではありませんので、「光と色と」共々、「光と色と THE NEXT」をよろしくお願いいたします。

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