単色光をプリズムに通す実験
ニュートンはプリズムでできるスペクトルが円形ではなく縦長になる理由を突き止めるため、次の図のように、スペクトルから単色光を取り出し、もうひとつのプリズムに通す実験を行いました。すると、赤色光よりも紫色光の方が大きく屈折することがわかったのです。ニュートンは、この実験の結果から、スペクトルが縦長になる理由は、光の色によって屈折の度合いが異なるためであることを突き止めました。
次の映像はさまざまな色の光が水中から空気中に出ていくときの屈折の様子を撮影したものです。光の色によって屈折の度合いが異なるのがよくわかります。なお、この実験は本ブログ著者が行ったものではありません。
Reflection and refraction of colored light in water air surface 2, varying incidence angle
太陽光はたくさんの色の光からできている
一連の実験の結果から、ニュートンは、光はプリズムを通って単純に色を呈するわけではないと考え、アリストテレスの改変説を否定する結論に至りました。そして、この結論を実証するため、次の図のようにプリズムで作ったスペクトルを凸レンズで集め、もうひとつのプリズムに通す実験を行いました。ニュートンは無色の太陽光がさまざまな色の光からできているのであれば、それらの光を集めれば元の無色の白色光になると考えました。実験の結果はニュートンが予想した通りになりました。X
ニュートンはこの結論をさらに確かなものとするため、虹色の帯から任意に取り出した2色の光を混合して別の色の光を作り出す実験も行っています。
スペクトルを白色光に戻す実験をやってみた
この実験を再現してみました。使用した光源は次の写真のようなハロゲンランプの白色光源です。光源にプリズムが付いていますので、簡単に虹を作ることができます(昔と違って便利なものがあります。ニュートン先生、実験手順を簡略化してごめんなさい)。
さて、この光源+プリズムの後に、レンズともうひとつのプリズムを並べて、次の写真のような実験装置(か!笑)を組み上げました。
何ともお粗末な実験装置ですが、これで虹色のスペクトルは元のハロゲンランプの無色の白色光に戻るのでしょうか。まず、この装置から凸レンズとプリズム2を外し、光源とプリズム1で、壁に虹色の帯を作りました。
続いて、実験装置にプリズム2だけを加えました。すると、次の写真の左側のように、プリズム1で壁の上部にできたスペクトルの一部の光がプリズム2を通り、壁の下部にスペクトルを作りました。そして、プリズム1とプリズム2の間に凸レンズを入れ、凸レンズの位置を調整しました。すると、写真の右側のように、凸レンズで集められたスペクトルがプリズム2で白色光に戻りました。どうやら、ニュートンの実験の再現に成功することができました。
終わりに
プロローグで説明した通り、ニュートンは1666年から行った一連の実験結果を1672年に『光と色についての新理論』にまとめ、ロンドン王立協会に送りました。
ニュートンはこの論文で光の正体について言及し、光線は光の最小の粒子の流れであり、屈折で色が生じるのは、光の色によって粒子の種類が異なるからだと説明しました。この説明がニュートンが光の粒子説を唱えたという由縁となりました。
ロンドン王立協会はニュートンの論文をイギリスのロバート・フックとオランダのクリスティアーン・ホイヘンスに送りました。光の正体は波であると考えていた彼らは、それぞれ独自にニュートンの光の粒子説に徹底的に反論しました。
同時に、彼らは、白色光が様々な色の光から成ることも否定しています。例えば、ホイヘンスは青色光と黄色光の2つの光を混合するだけで白色光を作れると反論としています。ホイヘンスは光の混色について理解はあったようですが、ニュートンの白色光が多数の色の光からなるという実験結果には理解を示しませんでした。
このとき、ニュートンは 20代後半、フックは30代後半、ホイヘンスは40代初めでした。偉大な科学者を前にした若きニュートンはこの実験結果は太陽光に限ったものとしたのです。
1704年に『光学』が出版されたとき、ニュートンは万有引力の発見によって、物理学において絶大な権威を有していました。『光学』でリベンジする結果となった光の粒子説に対して反論できる科学者は、もはやほとんどいませんでした。
虹を白色光に戻す |ニュートンのプリズムの分散の実験をやってみた③
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