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2020年8月19日水曜日

スネルは屈折の法則(スネルの法則)をいつ発見したのか

光の屈折の法則(スネルの法則)

 光の屈折の現象は昔から知られていましたが、光の屈折の法則性を定量的に見いだしたのは、オランダの天文学者・数学者ヴィレブロルト・スネル(1580-1626)とされています。スネルの法則については、本ブログのスネルの法則|図解 光学用語を参照してください。


ヴィレブロルト・スネル(1596-1650)

 スネルは1621年に光の屈折の法則を発見しましたが、生前に論文を残していませんでした。発見は1615年という説もありますが、スネルは1615年に三角測量法でオランダの町アルクマールからベル・オプ・ゾームまでの子午線弧を求め、地球の円周を求めています。

 下記は1621年に出版されたスネルの論文です。論文の題名は「Cyclometricus, De circuli dimensione」で、円の計測に関する論文です。


Cyclometricus 1621 by Willebrord Snellius

 この本はAmazonで購入できました。ラテン語ですので本文は理解できませんでしたが、屈折を論じているような図は掲載されていません。

デカルトの法則

 1637年にフランスの自然哲学者・数学者ルネ・デカルトが著書『Discourse on the Method(方法序説)』の屈折光学において光の屈折の法則に関する論文を残しています。しかしながら、デカルトの論文はスネルの論文を見て書いたものであるという指摘があり、現在では光の屈折の法則を発見したのはスネルとされ、光の屈折の法則はスネルの法則と呼ばれています。ただし、フランスでは、デカルトの法則またはデカルト・スネルの法則と呼ばれています。

ホイヘンスの論文

  オランダのクリスティアーン・ホイヘンスは1690年に著作『 Discours de la cause de la pesanteur(光についての論考)』において、スネルの法則が光の波動性から導くことができることを明らかにしました。これをホイヘンス=フレネルの原理といいます。この本は和訳したものが入手できます。本の中にスネルの法則と同じ図が掲載されており、フェルマーの原理に関しても言及があります。しかし、スネルの名前は記載されていませんし、スネルの論文の引用もありません。

 そこで、さらにホイヘンスの著作を調べてみたところ、1703年の『Opuscula posthuma』の「Dioptrica」にSnellの法則に関する記述を見つけました。この論文は屈折と望遠鏡について記述されたものです。下記で読むことができます。

Opuscula posthuma by Christiaan Huygens 1703
Opuscula posthuma(表示後左のサイドバーDioptricaをクリック)
下記でテキスト化したものを読むことができます。
Ad Davidse氏のサイト Dioptrica 1 Verhandeling over breking en telescopen

 この論文でホイヘンスは、スネルが屈折の法則を記述したマニュスクリプトを1度見たことがあり、デカルトもそれを見ていたと書いてあります。

 しかしながら、スネルがいつ屈折の法則を発見したのかはこの論文を読むだけではわかりませんでした。スネルのマニュスクリプトは1626年に公開されたものである可能性がありそうです。このスネルのマニュスクリプトを読むことができれば、屈折の法則を記述してあるところに日付が記載されているかしれません。

アムステルダムマニュスクリプト

 一連の調査をしていて、下記のサイトを見つけました。

Willebrord Snell (1580 - 1626) - Biography - MacTutor History of Mathematics
https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Snell/
Although he discovered the law of refraction now known as "Snell's law" in 1621, a basis of modern geometric optics, he did not publish it and only in 1703 did it become known when Christiaan Huygens published Snell's result in Dioptrica. There is a manuscript by Snell's which is an outline of a treatise he intended to write on optics. It is now in the library of the University of Amsterdam and known as the 'Amsterdam manuscript'. Klaus Hentschel in [10] tries to construct the path which led Snell to discover Snell's law:-

[10]

K Hentschel, Das Brechungsgesetz in der Fassung von Snellius. Rekonstruktion seines Entdeckungspfades und eine Übersetzung seines lateinischen Manuskriptes sowie ergänzender Dokumente, Arch. Hist. Exact Sci. 55 (4) (2001), 297-344.

Because of his geodetic work in which he pioneered the method of triangulation, Snell already had considerable experience with trigonometric functions; indicative of this are the two allusions to geodesics in the Amsterdam manuscript, one of them directly before the law of refraction .... Other remarks in the manuscript reveal that Snell had studied the existing literature on optics, particularly on refraction; various passages in the manuscript are analogous in formulation and sequence to other treatises as shown by his marginal notes and occasional references to other texts interspersed throughout the manuscript. Snell showed special interest in Ibn al-Haytham's experimentum elegans .... He sought a geometrical description of the refractaria .... This search led him to find the law of refraction in the secant form ....

上記の引用を読んでみると、次のようなことが書いてあります(重要な点を意訳)。

 スネルは1621年にスネルの法則として知られる屈折の法則を発見しましたが、それを公開しませんでした。1703年にクリスティアン・ホイヘンスがDioptricaでスネルの発見について発表したときに知られるようになりました。光学に書くつもりだった論文の概要であるスネルのマニュスクリプトがあります。現在はアムステルダム大学の図書館にあり、「アムステルダムのマニュスクリプト」として知られています。[10]のクラウス・ヘンチェルは、スネルがスネルの法則を発見する経緯をまとめようとしています。

 スネルは三角測量による測地研究を通して、三角関数のかなりの経験を持っていました。アムステルダムマニュスクリプトにこのことを示す2つの言及があり、そのうちの1つは屈折の法則です。スネルが光学の文献を学び、特に屈折について研究していたことがわかります。そして、スネルはイブン・アル=ヘイサムの実験に特別な関心を示しており、屈折の幾何学的記述を求め、屈折の法則を見つけるに至りました。

 アムステルダムマニュスクリプトにどのようなことが書いてあるのかを調べるまでには至りませんでしたが、おそらく1621年に屈折の法則を発見したということを示す記述があるのだろうと思います。

 さて、冒頭でも説明したようにスネルが三角測量法で測地をしたのは1615年です。その頃に既には、屈折の法則に興味をもっていたのではないでしょうか。これが1615年説の元になっているのかもしれません。

 継続して調べてみようと思います。

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