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2020年6月18日木曜日

白と黒から色が生じる 主観色とベンハムの独楽ー白と黒のはざまに(3)

主観色 回転すると色が見える独楽

 ドイツの物理学者・哲学者・心理学者のグスタフ・フェヒナーは、1838年に白黒の円盤を回転させると、円盤に色がついているように見える現象が発見しました。フェヒナーは、この現象が観察者によって主観的に生じると考え、この色を主観色と名付けました。主観色はフェヒナーの色とも呼ばれます。

 1895年、イギリスの玩具製造業者のチャールズ・ベンハムは上部を白と黒に塗り分けたベンハムの独楽(コマ)を発売しました。この独楽を回転すると、薄い色がついた円弧がたくさん現れます。

ベンハムの独楽

 フェフィナーが現象を見つけたが1838年、ベンハムがベンハムの独楽を発売したのが1895年と57年間もの開きがあります。「ベンハムの独楽」があまりにも有名なので、この現象を発見したのがフェヒナーであることはあまり知られていないかもしれません。
 

フェヒナー(左)とベンハム(右)

 ベンハムの独楽の白色の部分は白色光を反射します。白色光をプリズムに通すと、光が分散して光の色の帯が現れます。また、白色光をCD(コンパクトディスク)の裏面やシャボン玉の表面に当てると、光が回折・干渉して、やはり光の色の帯が現れます。

プリズムによる光の分散(上)とCDによる光の回折とシャボン玉による干渉(下)

 このように白色光は様々な色の光に分光することができますが、ベンハムの独楽で生じる色もコマの表面で反射した白色光が分光して現れた色なのでしょうか。もし、反射光が分光して色が生じているのであれば、上のCDや虹の写真のように現れた色を写真で捉えることができるはずです。

 回転しているベンハムの独楽の静止画を撮影しても、色がついていない写真となります。一方、動画で撮影した場合は、次の動画のようにの薄い色がついた円弧が見えます。動画の静止画を撮影すると、やはり色がついていない写真となります。どうやらベンハムの独楽が回転している状態でなければ、色は見えないようです。

【衝撃】白黒なのにジワジワと色が見えてくる不思議な動画

ベンハムの独楽で色が見える仕組み

 実は、ベンハムの独楽の色はコマが回転しているときにしか見えません。また、コマに当てる光を白色光ではなく黄色などの単色光に変えても別の色が見えます。そして、人によって見える色が異なります。ですから、ベンハムの独楽で色が生じる仕組みは、プリズムやCDやシャボン玉で色が生じる仕組みとは異なります。

  ベンハムの独楽の色は錯視で生じます。その仕組みは完全には解明されていませんが、錯視だからと言って、ベンハムの独楽の色が偽物ということはありません。私たちに見える限り、普通の物体の色も、ベンハムの独楽で生じる色も本物の色です。

 私たちは、眼の網膜にある赤・緑・青の光に反応する3種類の錐体細胞で色を感じています。ベンハムの独楽の色は錐体細胞の応答時間の違い、残像効果で生じると考えられています。

 白と黒で塗り分けられた独楽が高速で回転すると、独楽で反射した白色光が眼に入ったり、入らなかったりします。白色光には赤・緑・青の光も含まれていますので、3つの錐体は同時に応答します。このとき、例えば、錐体細胞の応答時間が赤・緑・青の順に短いとすると、白から黒に切り替わったとき、まず赤の残像がなくなるので、緑と青の混色のシアンが見えます。続いて、緑の残像がなくると、青が見えることになります。

 ベンハムの独楽は、私たちが見ている色は光源や物体の色だけでは決まらないことを教えてくれます。アリストテレスが変改説で唱えた、色は白と黒から生じるという考えには感慨深いものがあるのではないでしょうか。

白と黒から色が生じる ベンハムの独楽ー白と黒のはざまに(3)

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2020年6月17日水曜日

白と黒は色なのか?ー白と黒のはざまに(2)

白色とは

 光の色としての白とは、太陽光や蛍光灯の光のように無色の光のことを意味します。このような光を白色光と呼びます。白色光は無色透明なので、明るい空間が見えるだけで、白色光そのものを白いと感じることはできません。これは日常の経験からもわかると思います。

 物体の色としての白は、白色光で照らされた物体が白色光のほとんどを吸収せずに乱反射しているときに見える色のことを意味します。光源から出ている光線が白く見えることがありますが、これは光が空気中の微粒子で乱反射しているために光芒が見えるのです。光を見ているというより、光に漂う微粒子(物体)を見ていると言った方が的を射ています。赤色や青色などの色は、物体が白色光の一部の光を吸収し、それ以外の光を乱反射することによって生じます。


 白い物体は元をたどると透明な物質です。白色光のもとで、氷やガラスなどの無色透明の物質を細かく砕くと、白色の微粒子になります。無色透明の物質の微粒子は白色光を吸収せず乱反射するため、白色に見えるのです。白色の絵の具は透明ではありませんが、基材(展色材)に透明な粒子を分散させたものです。白い紙は無色透明のセルロースの繊維がたくさん集まったものです。

黒色とは

 光の色としての黒とは、光が存在しないことを意味します。例えば、テレビに表示されている画像の中で黒色に見える部分は、その部分が発光していないため黒く見えるのです。光がなければ、空間は漆黒の世界になりますから、黒を感じることはできます。光が存在しないのですから、「光の色としての黒」と言う表現は厳密には誤りでしょう。

 物体の色としての黒は、白色光で照らされた物体が白色光のほとんどを吸収して反射する光がないときに見える色のことを意味します。私たちが物体を見たとき、物体から出てくる光を可視領域全域にわたって感じることができない状態のときに、私たちはその物体が黒色であると認識します。なお、黒い物体には黒光りしているものもありますが、これは光沢を与えて光を鏡のように正反射するようにしたものです。

灰色とは

 白と黒の中間色を灰色と呼びます。光の色としての灰色は白色光の明るさで決まります。光の明るさが低くなると、空間が薄暗くなりますが、このときの光を灰色と感じることはできません。

 物体の色としての灰色は、白色光で照らされた物体がある程度の白色光を吸収・反射しているとき見える色のことを意味します。灰色は物体の反射率で決まり、反射率が高いほど明るい灰色になり、低いほど暗い灰色になります。


 白、黒を含め、白と黒の混色で生じる様々な明るさの灰色のことを無彩色と呼びます。無彩色は色味がなく明るさだけで決まる色です。これに対して、赤や青など、色味のある色を有彩色といいます。

無彩色は色なのか?

 無彩「色」といいますが、無彩色はコントラストだけですから、色ではないのではないかという指摘もあります。確かに日常生活でも「白黒写真には色がついていないが、カラー写真には色がついている」などと言います。


 一方で、白色の絵具、黒色の絵具という認識はありますし、色彩心理学では白に対するイメージ、黒に対するイメージなどと説明が出てきます。

 白と黒は色なのか?この答えは物理的に一義的に決められるようなものではなさそうです。これは私見ではありますが、たとえば、白黒写真においては、白・灰色・黒を色として認知する人は少ないかもしれません。しかし、カラー写真においては、様々な有彩色と一緒に写っている白・灰色・黒は色と認知する人は多いのではないでしょうか。


 無彩色は有彩色と一緒に存在しているときに、色と認知しやすいのではないかと思いますし、有彩色の知識と体験の記憶があれば、無彩色だけの部屋に入ったときなど、無彩色を色と認知する場合もあるかもしれません。

白と黒は色なのか?ー白と黒のはざまに(2)

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2020年6月15日月曜日

アリストテレスの変改説(変容説・変化説)と色彩論|白と黒のはざまに(1)

白と黒のはざまに

 西の空に太陽が傾くと、空が真っ赤な色に染まります。やがて、太陽が地平線に沈むと、空の色が失われ、光に満ちあふれていた世界が、漆黒の闇の世界となります。


 そして、朝日が昇り、夜が開けると、世界は光を取り戻し、さまざまな色で満ちあふれます。

  古代ギリシャの哲学者アリストテレスは色は光と闇のはざま、つまり白と黒の間に生じると考えました。アリストテレスは白色光が媒質を通ることによって暗くなり、その過程で、白と黒の間に、黄、赤、紫、緑、青が生じると考えました。これをアリストテレスの変改説または変容説変化説といいます。

 このアリストテレスの色彩論は、今でこそ誤りであることは明白ですが、ニュートンが白色光をプリズムでさまざまな色の光に分解することができ、さらに分解した光を集めると元の白色光に戻ることを証明する実験を行うまで支持されていました。

 ニュートンは1704年に著した【Opticks 和名:光学』のPART II. PROP. I. Theor. I. において次のように述べ、アリストテレスの変改説を否定しています。

Opticks by Isaac Newton (pg 113)
http://www.gutenberg.org/files/33504/33504-h/33504-h.htm
The Phænomena of Colours in refracted or reflected Light are not caused by new Modifications of the Light variously impress'd, according to the various Terminations of the Light and Shadow.
屈折もしくは反射する光における色の現象は、光と影の様々な終端に応じて、様々に特徴づけれる光の新たな改変によって引き起こされるものではない。

アリストテレスの変改説(変容説、変化説)と色彩論

 アリストテレスはどのような考えのもと変改説(変化説)に至ったのでしょうか。アリストテレスは著作『Περὶ Ψυχῆς(ラテン語:デ・アニマ、和名:霊魂論/魂について/心とは何か)英語名:On the soul』の第二巻において感覚を取りあげ、第7章で視覚と色について言及しています。

 アリストテレスは視覚と色を論じるにあたり、まず視覚の対象は物体の色の表面にある色であると定義し、どのように色が生じるのかについて考察しています。そして、この考察の中で、アリストテレスが議論の中心として取りあげているのが透明なものです。なぜ視覚と色の説明に透明なものを取りあげたのでしょうか。

 私たちが物体を見るとき、眼と物体の間には必ず透明なものがあります。アリストテレスの言う透明のものとは空気や水などのことですから、これは私たちの日常体験からも理解できるでしょう。そして、当時の四元素説において、空気と水は、火や土と並んで万物を構成する元素ですから、特別な働きがあると考えられていました。

 アリストテレスは、色は物体の表面に存在し、その色が透明なものに作用すると説明しています。そして、透明なものは眼と物体の間に絶え間なく存在しているので、色が透明なものに与えた作用は視覚器官に作用すると説明しています。アリストテレスは、透明なものは、色を伝える媒質であると考えたのです。さらに、透明なものは見ることができるが、それ自体が見えるわけではなく、その先にある色によって見えると説明しています。そして、この透明なものの状態から光について言及しています。

 アリストテレスは、透明なものが明るい状態にあるとき、それが光であると述べています。また、透明なものは潜在的に明るい状態になる能力をもち、光でない状態のときには、あたりは闇であると述べています。そして、透明なものが明るい状態のときには、火などの光源が存在すると述べています。また、透明なものが明るい状態というのは、透明なものの色のようなものであるが、光そのものは、火でもなく、物体でもなく、物体から出てくるものではない、光そのものが見えているのではなく、見えているのはあくまでも物体の表面の色であると述べています。

 アリストテレスの視覚と色の理論における光とは、色を発現させるものと考えることができるでしょう。光そのものは眼に見えませんが、透明なものに明るさをもたらすことによって、色が見えるようになり、そして光の存在を感知することができます。

 これは、私たちの日常の体験からそうかけ離れた説明ではありません。光が存在していなけれは色は見ることができませんし、光がまったくなくなれば漆黒の暗闇になります。

 アリストテレスは光と闇を対局的な存在と考え、透明なものの状態によって、色が生じると考え、明るい白から暗闇の黒へ、白、黄、赤、紫、緑、青、黒の順に色が変化すると結論づけたのです。

色は作れるのか

 アリストテレスの師であるプラトンは色と色を混ぜ合わせて新しい色を作り出す行為は神に対する冒涜であると考えました。プラトンの哲学は、イデア論という思想が背景にあり、事象に対して精神的、観念的に本質的なものを追求するものでした。我々が体験している事象や世界はあくまでイデアの似像にすぎないと考えたのです。弟子のアリストテレスは自然哲学を重視していたので、観察をしっかりと行い、事象の仕組みを科学的に追求していきました。

 アリストテレスの色彩論では、光の色と物体の色の区別は明確ではありませんが、白と黒を混合する割合を変えることで、様々な色を作ることができることになります。しかし、実際に白い絵の具と黒い絵の具を任意の割合で混ぜても、様々な明るさの灰色ができるだけで、赤や青などの色を作ることはできません。また、部屋の中で電灯を暗くしていくと、あたりが次第に暗くなるにつれて、物体の色の明るさも暗くなっていきますが、そこに新たな色が生じることはありません。

 アリストテレスは光と色との間に関係があることは示すことができましたが、色の本質については明らかにすることはできなかったのです。

アリストテレスの変改説(変容説・変化説)と色彩論|白と黒のはざまに(1)

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