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2021年4月26日月曜日

満月前夜の月(月齢14 2021年4月26日)

 満月は明日なのですが、今夜はとても綺麗に月が見えました。f:8 ss:320 iso:100で撮影し、画像処理で月の表面を強調してみました。


月齢14の月(f:8 ss:320 iso:100)に画像処理

【撮影機材】

 この月の写真の撮影に使用したカメラはパナソニック デジタルカメラ ルミックス FZ85 ブラック DC-FZ85-Kです。焦点距離が20 mm〜1200 mmで、光学ズームでは60倍まで拡大可能です。

 このカメラにパナソニックの純正のテレコンバージョンレンズ DMW-LT55を装着しました。倍率は1.7倍です。純正ではありますが、FZ-85で光学ズームを最大にすると、色収差の影響が出て月の縁が青みがかって写ります。

 なおFZ-85にこのテレコンをつけるには、パナソニック レンズアダプター ルミックス DMW-LA8が必要です。

 

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2020年12月23日水曜日

活動写真と映画の始まり|ゾエトロープからシネマトグラフへ

それは賭け事から始まった

 1872年、スタンフォード大学の創設者でカリフォルニア州知事を務めていたリーランド・スタンフォードは、馬が走っているときに、4本の脚すべてが地面から離れる瞬間があるかどうか友人と賭けをしました。

馬が走っているときの脚は・・・
馬が走っているときに脚は・・・

 スタンフォードはその事実を確認するため写真家のエドワード・マイブリッジに馬が走っている瞬間をとらえた写真の撮影を頼みました。

スタンフォード(左)とマイブリッジ(右)
スタンフォード(左)とマイブリッジ(右)

瞬間を捉える写真技術

 疾走する馬の瞬間を写真でとらえるためにはカメラのシャッター・スピードを速くしなければなりません。シャッター・スピードを速くすると、フィルムの露光時間が短くなります。

 当時、一般に使われていた写真の感光材料は感度が十分ではなく、疾走する馬の足の動きの写真を撮影するのは容易なことではありませんでした。 

 そこで、マイブリッジは5年の歳月をかけて、感度の高い感光材料の開発に取り組みました。そして、電気技師のジョン・D・アイザクスの協力を得て瞬間の写真を撮影することができる装置を開発し、馬の4本の脚すべてが地面から離れている決定的瞬間をとらえた写真を1877年7月1日に撮影することに成功しました。

4本の脚が地面から離れている馬の写真
4本の脚が地面から離れている馬の写真(1878年撮影のもの)

連続写真から動画へ

 1878年、マイブリッジ はこの装置を12台並べて、 疾走する馬の連続写真の撮影に成功しました。マイブリッジはその連続写真をイギリスのウィリアム・ジョージ・ホーナーが1834年に発明したゾエトロープ(回転のぞき絵)にかけました。

ゾエトロープ
ゾエトロープ

 ゾエトロープを回転し、隙間からのぞくと、馬が疾走する様子がアニメーションのように見えました。

マイブリッジの連続写真のGIFアニメーション
マイブリッジの連続写真のGIFアニメーション

 その後、マイブリッジは幻灯機を組み合わせて、動く馬をガラス板に投影させるゾープラクシスコープをつくり、映像を1879年にサンフランシスコで一般公開しました。なお、このとき、マイブリッジが投影した映像は写真ではなく、撮影した写真をトレースした図によるものでした。

マイブリッジがゾープラクシスコープにかけた図
マイブリッジがゾープラクシスコープにかけた図

エジソンのキネトスコープ

 マイブリッジの連続写真はトーマス・エジソンを大きく刺激し、エジソンは1891年に映写機キネトスコープを発明しました。キネトスコープは箱の中を上部の穴からのぞき込み、Motion Picture(活動写真)を見るタイプの映写機でした。

エジソン(1878年)とキネトスコープ
エジソン(1878年)とキネトスコープ

 キネトスコープは1893年にシカゴで開催された万国博覧会に出品され、世界中から注目を受けました翌年にはブロードウェイに世界初の映画館キネト・スコープ・パーラーが作られました。

 キネトスコープ・パーラーは映画館といっても、一度に多くの観客がスクリーンを見ることができる現在の映画館のようなものではありません観客は館内に設置されたキネトスコープをのぞいて映像を楽しみました。


シネマトグラフの登場

 1890年代にフランスのオーギュスト・リュミエール、ルイ・リュミエールのリュミエール兄弟が動画をスクリーンに映し出すことができるシネマトグラフを発明し、現在私たちが見る映画とほとんど同じ仕組みの映画が生まれました。

リュミエール兄弟とシネマトグラフ
リュミエール兄弟(左からオーギュストとルイ)とシネマトグラフ

 シネマトグラフで世界で初めて上映された映画はリュミエール兄弟が制作した上映時間46秒の1894年の作品「工場の出口」というタイトルのものです。

リュミエール兄弟制作映画 工場の出口
リュミエール兄弟制作映画 工場の出口

 そして、1895年12月28日にパリのサロン・ナンディアン(現ホテル・スクリーブ・パリ)で「工場の出口」を含む10本の映画が観客を集めて上映されました。これが世界初の映画の商業公開となりました。

 日本にはシネマトグラフは1897年にやってきました。自動写真と訳されたシネマトグラフの噂は瞬く間に広がり、2月15日から行われた大阪の上映は連日人が並ぶほどの満員となりました。

 活動写真は当初はありふれた光景を撮影したものでしたが、やがて演劇などを実写化したものなどが登場します。やがて、文化や芸術的な要素が加わり、現在で言うところの映画が作られるようになりました。

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2020年10月19日月曜日

水の色とカメラのホワイトバランス

 風呂の浴槽に水をためてカメラで撮影してみました。蛇口から出る水は透明、浴槽からあふれる水も透明ですが、浴槽の水は水色に写っています。

水はこんなに青色?
水はこんなに青色?

 水は赤色光をわずかに吸収するため、水の層が厚くなると、青みがかった色になります。そのことは「光と色と 本館」の「水は水色」「海の色は何色に見える? 海の色が違う理由は」で説明してあります。

 しかし、それにしても、この写真は水がずいぶん青色に見えます。肉眼ではこんなに青色には見えません。

 カメラで撮影すると、肉眼で見たときと色がずいぶん違うことがあります。カメラは機械的に色を感知していますが、私たちの脳は周りの色も判断して色を見ています。ですから、状況によってカメラで設定されているホワイトバランスでは、私たちが見ている色を再現でいない場合があります。

 さて、肉眼で見た浴槽の水の色ですが、カメラのホワイトバランスを調整して撮影してみました。 次の写真の左側が元の写真、右側が水の色が肉眼で見たときと同じ色合いになるようにホワイトバランスを調整した写真です。これでけ水の色が変わります。左の写真はバスタブの色も少し青みがかって見えます。

水の色  左:ホワイトバランス 調整なし 右:調整あり
水の色  左:ホワイトバランス 調整なし 右:調整あり

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2020年10月16日金曜日

灯りを失った信号機

 24時間休むこともなく点灯し交通整理を行う信号機。あの日、ある時間に信号から灯りが失われました。信号だけではありません。この辺りのすべての灯りが失われました。

光を失った信号機
灯りを失った信号機

 このようになった信号機を見かけるのは自然災害のときです。この信号の停電は2011年3月の東日本大震災の際の計画停電によるものでした。

 最近は自家発電装置やバッテリーを備えた信号機の設置が進んでいますが、全国の設置率は未だそれほど高くないようです(2018年 全国平均4.6%)。

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2020年10月2日金曜日

中秋の名月(芋名月) 2020年10月1日

 2020年10月1日の中秋の名月です。


中秋の名月 2020年10月1日

 旧暦では、7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋としていました。そして、中秋は7月から9月の秋の真ん中の日を意味し、8月15日を意味します。ですから、中秋の名月のことを十五夜と呼びます。現在は、旧暦は使われていないので、十五夜は変わりますが、9月の中頃から10月の初めになります。2020年は10月1日が旧暦の8月15日に相当するということです。

 中秋の名月は平安時代に中国から伝わり、月見が広がりました。満月は豊作の象徴と考えられ、中秋の名月には収穫の感謝を込めて収穫物をお供えしました。里芋を供えたことから、芋名月と呼ばれることもあります。この時期は稲穂が実る時期ではないため、代わりにススキを供えたそうです。

 満月では定番のASA400、F8.0、S800で撮影しました。画像ソフトで少しだけ明るくしてあります。

 カメラはパナソニック デジタルカメラ ルミックス FZ85 ブラック DC-FZ85-Kで、光学ズーム60倍(望遠1200 mm)で撮影しました。テレコンバージョンレンズは使用していません。

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2020年9月11日金曜日

フルベッキ群像写真  幕末の志士で囲まれた写真?

 幕末の頃と思われる古い写真が出てきました。写真には、西郷隆盛、大久保利通、勝海舟、坂本龍馬、桂小五郎、中岡慎太郎・・・、名だたる幕末の志士の名前が記入されています。そして左下には「写真撮影 上野彦馬 慶應元年(一八六五年)」とあります。


フルベッキ群像写真

 この写真は「フルベッキ群像写真」と呼ばれているもので、アメリカ合衆国に移民したオランダ出身の宣教師グイド・フルベッキとその子息を囲んで撮影した写真です。フルベッキは在米オランダ改革派教会から日本に派遣されました。1859年から亡くなる1898年まで日本に在住しました。

 この写真はフルベッキを幕末の志士が囲んで撮影した一枚と言われることがありますが、記入されている幕末の志士の名前はフェークとされています。

 それではこの写真はいかなるものかというと、長崎の英学校「致遠館」の学生がフルベッキを囲んんだ写真を、幕末の写真師・上野彦馬が1868年(明治元年)に撮影したものとされています。写真には後に政治家や官僚として活躍した人物も写っていますが、幕末の志士たちは別人です。

 フルベッキ群像写真は昭和49年(1974年)に雑誌「日本歴史」でフルベッキを囲む幕末の志士たちとして紹介されました。雑誌ですから学術的な価値はありませんでしたが、夢のある写真でもあるためか、広まっていきました。「日本歴史」で紹介されたときには、特定された人物は22名でしたが、時の流れを経ていく中で増えていき、現在では(上記の写真)44人にもなっています。

 フルベッキ群像写真は、繰り返し話題になるので、そのうち、また、幕末の志士の集合写真として紹介されるかもしれません。

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