それは賭け事から始まった
1872年、スタンフォード大学の創設者でカリフォルニア州知事を務めていたリーランド・スタンフォードは、馬が走っているときに、4本の脚すべてが地面から離れる瞬間があるかどうか友人と賭けをしました。
スタンフォードはその事実を確認するため写真家のエドワード・マイブリッジに馬が走っている瞬間をとらえた写真の撮影を頼みました。
瞬間を捉える写真技術
疾走する馬の瞬間を写真でとらえるためにはカメラのシャッター・スピードを速くしなければなりません。シャッター・スピードを速くすると、フィルムの露光時間が短くなります。
当時、一般に使われていた写真の感光材料は感度が十分ではなく、疾走する馬の足の動きの写真を撮影するのは容易なことではありませんでした。
そこで、マイブリッジは5年の歳月をかけて、感度の高い感光材料の開発に取り組みました。そして、電気技師のジョン・D・アイザクスの協力を得て瞬間の写真を撮影することができる装置を開発し、馬の4本の脚すべてが地面から離れている決定的瞬間をとらえた写真を1877年7月1日に撮影することに成功しました。
連続写真から動画へ
1878年、マイブリッジ はこの装置を12台並べて、 疾走する馬の連続写真の撮影に成功しました。マイブリッジはその連続写真をイギリスのウィリアム・ジョージ・ホーナーが1834年に発明したゾエトロープ(回転のぞき絵)にかけました。
ゾエトロープを回転し、隙間からのぞくと、馬が疾走する様子がアニメーションのように見えました。
その後、マイブリッジは幻灯機を組み合わせて、動く馬をガラス板に投影させるゾープラクシスコープをつくり、映像を1879年にサンフランシスコで一般公開しました。なお、このとき、マイブリッジが投影した映像は写真ではなく、撮影した写真をトレースした図によるものでした。
エジソンのキネトスコープ
マイブリッジの連続写真はトーマス・エジソンを大きく刺激し、エジソンは1891年に映写機キネトスコープを発明しました。キネトスコープは箱の中を上部の穴からのぞき込み、Motion Picture(活動写真)を見るタイプの映写機でした。
キネトスコープは1893年にシカゴで開催された万国博覧会に出品され、世界中から注目を受けました翌年にはブロードウェイに世界初の映画館キネト・スコープ・パーラーが作られました。
キネトスコープ・パーラーは映画館といっても、一度に多くの観客がスクリーンを見ることができる現在の映画館のようなものではありません観客は館内に設置されたキネトスコープをのぞいて映像を楽しみました。
シネマトグラフの登場
1890年代にフランスのオーギュスト・リュミエール、ルイ・リュミエールのリュミエール兄弟が動画をスクリーンに映し出すことができるシネマトグラフを発明し、現在私たちが見る映画とほとんど同じ仕組みの映画が生まれました。
シネマトグラフで世界で初めて上映された映画はリュミエール兄弟が制作した上映時間46秒の1894年の作品「工場の出口」というタイトルのものです。
そして、1895年12月28日にパリのサロン・ナンディアン(現ホテル・スクリーブ・パリ)で「工場の出口」を含む10本の映画が観客を集めて上映されました。これが世界初の映画の商業公開となりました。
日本にはシネマトグラフは1897年にやってきました。自動写真と訳されたシネマトグラフの噂は瞬く間に広がり、2月15日から行われた大阪の上映は連日人が並ぶほどの満員となりました。
活動写真は当初はありふれた光景を撮影したものでしたが、やがて演劇などを実写化したものなどが登場します。やがて、文化や芸術的な要素が加わり、現在で言うところの映画が作られるようになりました。
0 件のコメント:
コメントを投稿